AZELについてPt.4(長文、ネタバレ)



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投稿者: Birdie @ mx-yok221.raidway.or.jp on 98/2/08 04:34:55

欠点?
 全体の出来は以上のように非常に素晴らしいのですが、いくつか気になった点もありました。まず、目立ったのが、いわゆるポリゴン欠けです。特に街などでは、建物が角度によって、かなり欠けてしまいます。ひどい場合には、初代サカツクの試合で見られたポリゴン欠けに匹敵するような場面もありました。この辺はもっと丁寧に処理して欲しかったと思います。
 それから、これは個人的には全然問題ないのですが、ドラゴンの移動速度は人によってイライラするかなとも感じました。ダンジョンのような閉鎖された場所では感じないのですが、大きなフィールドでは人によってはかなり遅いと感じる人はいるかもしれません。ただ、移動手段がドラゴンであり、翼を羽ばたく視覚的な優雅さと実用的な移動速度が相容れないのは仕方のないことでしょう。
 軍相手の戦闘で入る音声による演出も人によっては煩わしいと思う人もいるでしょう。いわゆる伝令の類なのですが、個人的には楽しめました。ただ、スキップ機能を付けた方が良かったのかもしれません。
 もう一つ、不思議なのは、オープニングとエンディングのムービーで聞くことの出来る、パンツァー語です。日本語字幕付きですから、当然意味は分かりますが、問題なのは、それ以外のパートには日本語が使われているという点です。AZELの独特の世界観をプレイヤーに印象づけるためだとは思いますが、これはどちらかに統一すべきでしょう。大半を占める日本語パートにおける声優の熱の入った演技を見ると、オープニング、エンディングも日本語で統一した方が、かえってプレイヤーをより世界に引き込むことが出来たのではないかと思うのですが。

総評
 RPGというゲームの方向性を考えるとき、一つの指針として「映画」があります。私の知る限り、これはFFシリーズが打ち出したものです。実際にこの方針が作品に反映され始めたのはFF5あたりからで、それが一つの形に集約されたのがFF7でしょう。もちろん、「映画」という指針は、あくまで一つの方向性であって、全てのRPGがこうあるべきだということではありません。しかし、ハードの性能の向上に伴って拡がった表現の幅に対して、これ以外に指針を明確に示しているソフトハウスが意外と少ないのも事実です。
 SSでは、ゲームアーツの「グランディア」が映画的であるということを売り物にしました。しかし、実際の作品は、ゲームとしての出来は別にして、映画的というには中途半端なものでした。特に「ルナ」でゲームアーツの存在を認めた人にとってはその感が一層強かったと思います。
 それと比較すると、AZELは、とりたてて映画的という売り方はなされなかったと思います。ところが、皮肉なことにAZELこそが「映画的」という句がふさわしいRPGに仕上がっていました。もちろん、映画的という定義は、単に挿入されているムービーの長さで決められるものではありません。ムービーの内容がキャメラ・ワークを含めて、映画的な見せ方に長けているのは言うまでもありませんが、「ムービー」の項目で触れたように、極力無駄なInteractivityを排除した結果、映画的なパートはより映画的に、プレイヤーが介在するゲーム場面はよりゲーム性を獲得することに成功したように思えます。映画的でありながら、ゲーム性を獲得したという点で、AZELは、間違いなく FF7を越えています。SSで出されたRPGでも、AZELを越える作品を私は知りません。RPG史上、ターニング・ポイントとなった作品としてAZELもまた、語り継がれていかなければならないと確信しています。

駄文につき合ってここまで読んでいただいた方、ありがとうございます。そして、私にこのような文章を書かせるきっかけとなったAZELを作ったセガのスタッフにも個人的には感謝の意を表したいと思います。