実のところ私も



[ このメッセージへの返事 ] [ 返事を書く ] [ home.html ]



投稿者: hiv @ cc-ppp8.iis.u-tokyo.ac.jp on 97/8/30 01:41:10

In Reply to: Re: 僕も

posted by 68user @ oryo2.inforyoma.or.jp on 97/8/30 00:38:29

この間も書きましたけど、私の知識は故・司馬遼太郎氏の著書に
よるところが大きいのです。
著書といってもお釈迦様についてや宗教全般についての記述は、
小説よりも対談集や講演集に納められているものが多いのですが。

よって、実のところ私もどの程度理解できているか自信がありませんが、
精一杯書いてみます。

彼の文章からは新しい真理を手に入れた喜びがひしひしと伝わってきます。
私が「知的興奮」といっているのは、単にこのことを指しています。
問題は原点の回帰を目指していることが、その興奮をより大きくしている
点です。

私の場合、原点への回帰というものを考察するのに、現在のことと比較
せずには出来ないので、現在のことと比較してみます。
(レベルが低くてすみません)

宗教というものは時を経るに従って、社会や地ばえの風俗と融合して
行くもののようです。
元々、仏教には救済思想も現世利益もありません。
ましてや、極楽浄土などあるはずもありませんし、実はお墓もないのです。
結局広まっていくためには、その人々が望む効能を付加していく必要が
あるのです。

これはある意味大変軟弱です。
教えを広めるために節を曲げているわけですから。

ここが原点への回帰が知的興奮を増幅するポイントなのです。
「俺は違う」という誇りが持てます。
原点を目指すことにより、現行の軟弱な宗教家と一線を画することが
出来るから。

それが何か悪いのか?
そうお思いでしょう。

ここで先鋭的という言葉の意味を説明しなくてはなりません。
といっても、別段の意味はありません。
言葉の通り、先がとがる、ということです。
つまり、他者を傷つける、攻撃性をもつ、ということです。

これは原点の回帰を目指す者に往々にして見られるという、経験則に
過ぎません。
ですから彼が直ちに危険だと言っているわけではないのです。

ですが、彼の書き込みを見る限り、原点が明らかに間違っています。
私はここにこの教えを考えた人間の意図的なものを感じ、ある意味
恐怖すら感じるのです。

もっとも感じ方などは人それぞれなので、色々あって結構なんですけどね。

こんな説明でよろしいでしょうか?