私見(かなり長文)



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投稿者: マサイ @ 210.131.1.* on 98/7/13 03:22:54

In Reply to: ひとつの可能性として(↑はちょっと長文です)

posted by ダラナーズ @ 160.190.238.* on 98/7/12 10:32:40

海外のRPG。
あんまりやったこと無いので何とも言えませんが、
元々TRPG(テーブルトークロールプレイングゲーム)における、
様々な数値の処理を電算化したものだったと聞きます。
その意味で現在のNRPG(ネットワークロールプレイングゲーム)は、
正統進化と言えるのではないでしょうか。
RPGの字義的な意味もあまりくずれません。

一方日本のRPGはと言えば、
元々AVG(アドべンチャーゲーム)を手がけていた堀井雄二さんが
ウルティマやウィザードリィを参考にDQを作り上げたことは有名です。
その成功に触発される形でFFなどの作品が生まれました。
しかしそこには物語を語るための道具としての位置付けが第一にありました。
その意味でRPGの生い立ちから見ると少々いびつな形で日本には入ってきたこと
になります。

字義的な意味のずれにおいてFFなどがよく槍玉に挙がりますが、
実はDQもその咎めからは逃れられません。
DQが試行錯誤的であるのは元々AVGの制作をしていて、
当時の表現能力に物語を語る上での限界を感じて、
RPGをその表現方法の手段とした氏の意図が、やはり物語にあるからです。
RPGのもう一つの華であるはずの戦闘やレベルアップが、物語と齟齬を感じる程
頻繁に感じられたりインフレ気味になってしまうのには、そういう訳があると思い
ます。(うまくやっているものも勿論ありますが)

以上のことから考えると日本でNRPGがブレイクしないのには、
単純な通信環境以外の原因を感じます。
日本のRPG好きの人達は、TRPG的なNRPGを本当に求めるのでしょうか。
僕自身はTRPGが好きなこともあり是非やってみたいですが、
同時に初対面の人を相手にするときの独特の緊張感を想像させます。
本来的にロールプレイングはある程度の真剣さを必要とします。
物語を読む様には気軽にできないでしょう。
TRPGでは例えがわかりにくいでしょうが、
ゲームセンターでの見知らぬ人との対戦が抵抗なくできる人と、
知り合いとしかやりたくない、家でしかやらない、という人がいると思います。

結論としてはRPGの行方というのは1種類しかないと思います。
より完全性の高い疑似社会の生成です。
ここで問題になるのは参加の仕方で、疑似度が高くなるほどその世界に縛られてし
まいます。その面から、単なるリアルさの追求以上のものが要求されるでしょう。

日本のRPGの行方ですが、これは物語を語る手段としての生い立ちから、
物語を自由に展開するために、徐々にその形を変質させていくでしょう。
さもなくば、戦闘システムやレベルアップシステムに迎合した物語は、
いくつかのステレオタイプにはまり込んでしまうことでしょう。


以上の長文に付き合って頂き有り難う御座います。
上の文で自身がジャンル分けをなんとなしに使っておりますが、僕はこれに非常に
問題を感じます。
一般の人は別にして、雑誌上であまりに安易に使われる事に強い懸念を感じます。
非常に便利でありまた便利である事自体が、その不正確さを如実にあらわしている
と思います。
レビューに伴う点数とともにゲームの評価・紹介に関する重大な問題であると
僕は認識していますが、皆さんの意見を伺いたいと思います。