人生は苦なり(長文)



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投稿者: 錦太郎 @ sutkmax1-ppp02.ed.kagu.sut.ac.jp on 97/9/05 02:23:59


 私達が生きると言うことは何かを信ずるということになる。信ずるというと、驚くかもしれませんが、これは何かを頼りにしている、心の支えにしている、何かをあて力にしているということです。
  みなさんも何か頼りにしているものはありますよね?それはお金であったり、地位であったり、名誉であったり人それぞれだと思います。
 

 身近な例であげてみると、床屋に行ったときに髭をそると思うんですけど、床屋で髭を剃られると気持ちよくて、ついうとうと・・・なんてことありますよね。よ〜く考えてみると、見ず知らずの人に首に剃刀をあてられているのに、うとうとと眠っているなんて考えられますか?状況的に言えば、道を歩いているときにいきなり見ず知らずの人に刃物を喉元に突きつけられているのと同じではありませんか?ただ私達は床屋さんは商売だから、もし私の喉を切ることがあったらこの人はクビになるし、と床屋は私の喉を切ることはないと信じているから安心して寝ていられるんですよね。

 
 結論から言えば私達は何かを信ぜずしては生きてはゆけません。それはなぜかと言えば、何も信ずることがないとするならば、何も頼りにするものがない、何も心の支えがないということですから、あるのは絶望のみです。自殺する人というのはこういった人ではないでしょうか。私達が一番信じているのは明日という日があるということです。何か苦しいことがあっても生きてゆけるのは明日があるんだと思うからこそ生きていけるんです。もし明日という日がないなら何も頼りにするものがないということになりますので、一日たりとも生きてゆくことはできません。

 ところで、私達はただ生きているのではありませんよね。常に幸せを求めて生きています。これに反論する人はいないと思います。言い換えれば私達は苦しみを嫌い、幸せになりたいと思って生きています。では、どういったときに
私達は苦しいと感じるのかといえば、それは私達が信じていたものに裏切られたときです。

 例えば、道路を歩いていたときに財布を落としてしまったとします。そしていくら探しても見つからなかったとすれば、これは当然苦しいはずです。なぜ
苦しいのかと言えば、財布を頼りにしていたからに他なりません。

 また、苦しみは信じていたものに裏切られたときに生ずると先ほど述べましたが、その苦しみの度合いはそれまでどのくらい苦労してきたかに比例します。(その信じていたものを求めるのにした苦労)
 友達からもらったアメ玉をなめようとしたら袋をあけたはずみにアメ玉を落としてしまったとすると苦しみは感じると思いますが、それはさほどでもないはずです。逆に、例えば東大に入るために浪人してまで、受験勉強を頑張ったとします。遊びたいのを我慢して、いろいろやりたいことがあるんだけど、それも我慢してまで、受験勉強をしたとします。それで東大に落ちたとするならば、苦しくて苦しくてご飯も喉を通らないっていうことになると思います。
それは、それまで大変な苦労をしてきたからです。

 
 私達は幸せを求めています。その為にはどうすればいいかというと、絶対に裏切ることのないものを信ずれば、(頼りにすれば)よいわけです。苦しむのは裏切るものを信じていたからです。

 
 では、絶対に裏切らないものはあるのでしょうか?諸行無常といわれるように、この世には絶対に裏切らないというものはありません。諸行というのはすべてのものということです。無常というのは常が無いということですから、かわりどおしである,ということです。全てのものは変わりどおしである、いつまでもその姿をしてはいないということですから、必ず最後には裏切られていくということです。必ず裏切られると言うことは必ず苦しまねばならないということですから、当然、私達の人生=苦しみということになるはずです。


 私達が一番信じていること、それは明日がある、つまりまだ生きておれるということです。しかし、私達の命もまた無常のものでありますから、いつかは死なねばなりません。私の一部である財布を落とすこれだけでも苦しいのに、
私のすべてを失うのに苦しまない道理がありません。


 例えるなら、データをセーブできなのにプログラムを打ち続けているのが私達の人生です。どんなに一生懸命プログラムを打っていても最後には全てクリアされてしまいます。一生懸命打っていればいるほど、クリアされてしまったときの苦しみは激しいものとなります。


 死ぬと言うことは全てのものに裏切られる、頼りにしていたものが何の頼りにもならなくなるということですから、これ以上の苦しみはありません。

  私達がどんなに一生懸命求めても最後には全てのものに裏切られていくのですから、「人生は苦なり」ということになります。