僕の意見を述べさせて頂きます。



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投稿者: ノック @ jyou63.kumagaya.or.jp on 97/9/07 03:23:04

In Reply to: 人生は苦なり(長文)

posted by 錦太郎 @ sutkmax1-ppp02.ed.kagu.sut.ac.jp on 97/9/05 02:23:59

 大体納得出来ましたす。でも少しだけですが、納得の行かないものが有りました。「人生は苦なり」の重要な部分ですので発言させて頂きます。

> 信じていたものに裏切られた時に苦しむ。

これは少し違うかなとも思ったのですが、反論出来なかったので納得しました。しかし・・・

> 死ぬということは全てのものに裏切られる。

これはどうしても納得出来ません。
’プログラムの消去’の例だとすると、これは記憶だけを見ている様に思えます。人間や人生というのは、記憶だけでは無いと思います。
「人はいつかは死ぬ」という事は、誰でも分かっているはずです。
つまり「プログラムはいつか必ず消去される」、という事が分かっているはずです。それでもプログラムを打ち続けているという事は、プログラムを残す事よりも、打つ事の方がもっと大切だ、という事を知っているからではないでしょうか?。もし、残すことだけが目的なら、最後には絶対に消去されるプログラムを、打とうとする人はいません。

自分はいつか必ず死ぬ、という事を知っている人がいます。
「それでもいいから」と言って、一生懸命に生きています。
いざ、死にました。
さて、彼は裏切られたのでしょうか?

> 私達がどんなに一生懸命求めても最後には全てのものに裏切られていくのですから、「人生は苦なり」ということになります。

 以上の僕の考え方から、これを納得する事は出来ませんでした。

もう一つ、矛盾らしきものを発見したので、少し指摘させて頂きます。

> 私達は常に幸せを求めて生きている。言い換えれば私達は、
> 苦しみを嫌い、幸せになりたいと思って生きている。

> 死ぬという事は、全てのものに裏切られる。
> これ以上の苦しみは無い。

この2つの文章より、”全ての人は死を拒否する”、と言う事が出来ると思います。

> 自殺する人というのは、頼りにするものが何も無く、
> 絶望しかない人である。

この文章より・・・”絶望した場合、自殺する人もいる”、と言う事が出来ると思います。つまり”自ら死を望む人もいる”、と言う事が出来ると思います。
これです。

以上、僕の世界観で述べさせて頂きました。
これはあくまでも個人的な意見です。
もしよろしければ、今度は次の様な要素を入れて頂けるとうれしいです。

・幕末の吉田松陰は、自分が処刑される事により、維新志士達の士気を高められると考え、死を拒否しなかったそうです。(真実は分かりませんが・・・)。

・同じ寿命で死ぬ時でも、「死にたくない」と泣きながら死んで行く人がいます。「往生だ」と言って笑いながら死んで行く人もいます。彼等の違いは何でしょうかね?。

・人を救う為に、自らの命を犠牲にする人がいます。自分が死ねば、その人が助かったかどうか、また、その後幸せになったかどうかも分かりません。それなのに自分の命を犠牲にしてしまうのです。彼等は何を望んでいるのでしょうか?。また、彼等は行動は間違っているのでしょうか?。