なぜ「人生は苦なり」となるのか。



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投稿者: 錦太郎 @ sutkmax1-ppp12.ed.kagu.sut.ac.jp on 97/9/07 23:42:08

In Reply to: 僕の意見を述べさせて頂きます。

posted by ノック @ jyou63.kumagaya.or.jp on 97/9/07 03:23:04


> 自分はいつか必ず死ぬ、という事を知っている人がいます。
> 「それでもいいから」と言って、一生懸命に生きています。
> いざ、死にました。
> さて、彼は裏切られたのでしょうか?
>
 
 実際に自分が死ぬことを本当に実感したならば「それでもいいから」という心は
起きようがありません。何がいいんですか?





> もう一つ、矛盾らしきものを発見したので、少し指摘させて頂きます。
>
> > 私達は常に幸せを求めて生きている。言い換えれば私達は、
> > 苦しみを嫌い、幸せになりたいと思って生きている。
>
> > 死ぬという事は、全てのものに裏切られる。
> > これ以上の苦しみは無い。
>
> この2つの文章より、”全ての人は死を拒否する”、と言う事が出来ると思います。
>  
 いくら拒否しても自分が死ぬという事実は変わりません。拒否したらどうなるのか
と考えてみますと、結局は死を忘れて生きるということになります。ほとんどの人
はここに行き着くのではないでしょうか。




> > 自殺する人というのは、頼りにするものが何も無く、
> > 絶望しかない人である。
>
> この文章より・・・”絶望した場合、自殺する人もいる”、と言う事が出来ると思います。つまり”自ら死を望む人もいる”、と言う事が出来ると思います。
> これです。
>
 全く同感です。自殺したいんだけど、その勇気がないという人はたくさんいると
思います。(トルストイがそうでしたね)

 
> 以上、僕の世界観で述べさせて頂きました。
> これはあくまでも個人的な意見です。
> もしよろしければ、今度は次の様な要素を入れて頂けるとうれしいです。
>
> ・幕末の吉田松陰は、自分が処刑される事により、維新志士達の士気を高められると考え、死を拒否しなかったそうです。(真実は分かりませんが・・・)。
>   
> ・同じ寿命で死ぬ時でも、「死にたくない」と泣きながら死んで行く人がいます。「往生だ」と言って笑いながら死んで行く人もいます。彼等の違いは何でしょうかね?。
>
> ・人を救う為に、自らの命を犠牲にする人がいます。自分が死ねば、その人が助かったかどうか、また、その後幸せになったかどうかも分かりません。それなのに自分の命を犠牲にしてしまうのです。彼等は何を望んでいるのでしょうか?。また、彼等は行動は間違っているのでしょうか?。

 自分の人生をまじめに考えたとき必ずなぜ生きるかという問題にぶちあたると思い
ます。そして「生」を考えるときには必ず「死」を考えます。なぜならば、全ての
人が必ず訪れる未来は「死」だからです。その「死」を考えなかった人、あるいは
考えたけど何かトンチンカンなものを想像してそのことに対して怖くないと結論
を出したかそういった人が「死」を自ら望んだのではないでしょうか。