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 投稿者:
草壁くん  @ 133.33.1.213 on 97/9/05 11:56:20
 
In Reply to: Re: 人生は苦なり(コロスケ) posted by saki  @ a-wingpl8.comlink.or.jp on 97/9/05 03:24:25
 
じーんせいらっくあっりゃくーっもあっるっさー、というわけで。レスします。
 >  あなたは こういうことを考え文章にし 示してますけど
 >  昔 なんか あったんじゃないんですか?
 >  信頼していたものに 裏切られたとか。
 
 まあまあ、人は誰だって一度は裏切られますって。
 あなたも裏切られたことってあるでしょ?私も有ります。
 
 > >  結論から言えば私達は何かを信ぜずしては生きてはゆけません。それはなぜかと言えば、何も信ずることがないとするならば、何も頼りにするものがない、何も心の支えがないということですから、あるのは絶望のみです。自殺する人というのはこういった人ではないでしょうか。私達が一番信じているのは明日という日があるということです。何か苦しいことがあっても生きてゆけるのは明日があるんだと思うからこそ生きていけるんです。もし明日という日がないなら何も頼りにするものがないということになりますので、一日たりとも生きてゆくことはできません。
 
 絶望は死にいたる病って言いますからね。(キュルケゴールがね)
 
 > >  死ぬと言うことは全てのものに裏切られる、頼りにしていたものが何の頼りにもならなくなるということですから、これ以上の苦しみはありません。
 > >
 > >   私達がどんなに一生懸命求めても最後には全てのものに裏切られていくのですから、「人生は苦なり」ということになります。
 
 死んでしまったら、実は後はどうでもいいのでは?
 死ぬということは、信じるとか裏切られるとか、そーゆーものから開放されるということでは?
 てことは、死ぬということは最も苦しまなくてよいことではないのかな?違うかな?
 死は安らぎって、これはキリスト教の教えかしら?
 
 逆に言えば、何もかもから自由である状態とは、決して生きている状態ではないですよね?
 まあ、結局生きている限りは人は苦しまなくちゃいけない生き物なのですね。
 
 死んだ後に安らぎが来ると考えるか、苦しみが来ると考えるか、によって
 「最後にはすべてのものに裏切られる」ってことが変わりますよね。
 キリスト教は、最後に神様が救ってくれる・・・他の宗教はどうでしょう?
 
 > どうでもいいけど 私達の達って誰のこと?  私もその中に入ってるの?
 
 たぶん入っているでしょう。
 
 > 私は人生を苦しいと感じるのは、楽しいことが有るからだと思う
 > もし、楽しいことが まったくない世界だったら 苦しいのが当たり前に普通に
 > なるでしょ
 > だから「人生は苦なり」ってあるけど 楽しいから 苦しいんじゃないの?
 > 苦しい時が有るから 楽しいことも 有るんじゃないの?
 
 これは、「じゃあなぜ苦しいのに生きているか?」の一般的な答えでしょうか?
 私もこれは正しいと思います(絶対的ではなく私の考えでね)
 人はみな、"不自由"とともに生きているんですね、で、不自由がるから
 また楽しいんだと思います。
 
 >
 > 最後に絶対に裏切らないものは ない ・・・ と言う人もいると思うけど
 > 絶対に裏切らないもの ・・・  それは 自分自身だと思って生きてます
 > もし、自分にも裏切られたと 感じた人は かわいそうな人です。
 
 いくら自分が信じていても、運命と生命は、自分を裏切ります。悲しいことに。
 
 そう思うと生きるってことはきついですね。
 締め切りが分からない小説家みたい。
 締め切りはもっと後だと思ってのんびりやってたら、いきなり今日が締め切りだったり・・・
 一週間後のはずのテストが、実は昨日終わってたり(実話)
 
 んー、何だか話がまとまりませんが、私は人は必ずいつか死ぬから
 「人生は苦しい」とは思いません。死は、始まりだと思います。
 
 まあ、だからって今苦しいから死ねばいいとは思いませんけどね。
 今出来ることを精いっぱいやらないうちは、死んでも死にきれないし。
 こんなレスでどうでしょう?朝はこれが限界ですー。
 
 
 
  
 
 
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