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投稿者:
天下無敵の無一文 @ ppp063.tokyo.xaxon-net.or.jp on 98/1/31 12:03:41
がやがやがやがや
どこまでも果てることのない――現実にそうではないとしても、そうと錯覚してしまうような――人の波。
もう、今年も終わりだ。
一体これだけの人が、どこへ向かっているのだろう。
マリアは、師走のせわしい町の通りを歩きながら、ふとそんな、取り留めの無いことを考えた。
自分のように、年始に向けて、正月用の買い出しに出かける人。
今年お世話になった人に、お礼に向かう人。
飲み屋のツケを取り立てに行く人もいれば、それをなんとか来年まで待ってもらおうとしている人もいるだろう。
もしかしたら、恋人の下へと急ぐ人もいるかもしれない....
「...馬鹿ね。」
おもわずそんな考えに行き着いた自分に、苦笑いして足を速める。
長身で金髪のマリアが真っ黒なコートを着て歩いている姿は、遠目にもすぐそれと分かるほどに目立つし、そのファッションは少々飾り気が少ないとはいえ、似合っていると言えるだろう。
しかし、不思議と場違いな雰囲気が感じられないのは、彼女がこの街になじんできたからだろうか。それとも、彼女両手に下げている、沢山の買い物袋のせいだろうか。
先日の買い出しで買い忘れたものや、早くも足りなくなってしまったものを(ありていに言って、それは米田支配人の酒なのだが)暮れで商店が軒並み休みに入ってしまう前に、買い付けにでかけた帰りなのだ。さすがに「駆け込み」とも言うべきこの仕事納めの日に、すぐに配達してくれる酒屋はいない。
普通の女性なら、これだけの荷物を抱えては(ましてや中身は大部分酒である)、十数メートルも歩けば音を上げてしまうだろうが、さすがに特殊な訓練を受けたマリアは、顔色一つ変えずに黙々と歩みを進めている。
「...もし、そこの背の高いお嬢さん?」
隣の人の声も聞こえない、この喧騒の中で、不思議とはっきりとマリアの耳に届いたその声は、彼女に向けたものだと、なぜかその時彼女には感じられた。
「そう、あんただよ。今立ち止まった、黒い服を着たお嬢さん?」
思わず立ち止まってしまったらしい。声のした方に目をやると、紫色の布をかぶせた小さな机を前にして、品のよさそうな老婆が表通りから裏路地へと続く曲がり角の、建物の前で、おいでおいでと手招きをしていた。辻占いのようだ。
そういえば、この場所で何度か見かけたことがある。いつもなら、他の大勢の通行人同様、気にも留めずにそのまま通り過ぎる所だが、そのおばあさんの人のよさそうなほほ笑みのせいか、なんとなく興味を惹かれてそちらの方へ近づいてみる。
「...『鈴屋』、ですか。変わった名前のお店ですね。」
「あたしの名前から取ったんだよ。結構気に入ってるつもりだけどね。ささ、ここに座りなさい。何を占って欲しいのかね?」
老婆が年相応の、少ししゃがれた声で席を勧める。
「おばあさん、私は別に...」
「鈴婆さんとよんどくれ。そちらの方が通りがよいもんでな。」
「では、鈴婆さん。私は別に占いは信じて...」
「わかっとるよ、信じてないって、そう顔に書いてある。あたしが何年この仕事をやっていると思ってるんだい?」
そう言って、鈴と名乗った老婆は妙に嬉しそうな顔になる。
「なら、どうして...」
「おう、分かるぞわかるぞ。どうして声を掛けたのか? というのじゃな? なかなか面白い相をしていると思うてな。今回の見料は、あたしの占いに満足したら、払っとくれ。」
自分が口を開く度に先を越され、マリアは思わず言葉につまってしまった。
「さあさあ、そんな所につったっとらんで、その椅子に座りなさい。 年よりの言うことは、聞くものじゃて。」
にこにこと椅子を勧める鈴婆さんの、悪意の無い押しの強さに、マリアは仕方なく、荷物を足元において腰かける。
「さてと、それでは始めようかね。」
鈴婆さんはそう言うと、いそいそと眼鏡をかけて、人の頭より一回り大きい巨大な拡大鏡を取り出して、それ越しにマリアの顔をのぞき込む。
なんとなく、息苦しいものを感じて、マリアは体をこわばらせた。
「ふうむ、なるほどねぇ...」
そのまま何やらぶつぶつ呟きながらたっぷり十分ほどマリアの顔をじっくりと眺めた鈴婆さんは、魔法のように拡大鏡をどこかへしまい、眼鏡をかけたままで、にこにこと機嫌よさそうに笑う。
「本当にお前さんは面白い相をしているね。あたしもこの商売は長いけど、こんなのはそう見たことがないよ。」
「...そうですか、」
何と答えていいものか、とマリアは少し戸惑う。
「それで、占いだけど...。」
「はい。」
「よく、わからん。」
「...は? い、いえ、それでは占った意味がないのでは...」
「そう言わないでおくれよ。珍しいんだからしょうがないだろう。 もっとも、ここ数日の間のことなら分かるがね。」
「ここ数日間、ですか。」
「それはね。」
意味ありげにもったいぶる鈴婆さんに、思わず身を乗り出してしまうマリア。
「なんだい、占いは信じないと言った癖に、結果は気になるのかい?」
可笑しそうに笑う。
「え、いえ、その」
「冗談だよ。そうだねぇ、...あんた、好きな男がいるね?」
唐突に言われて、思わずマリアはドキリとした。
「ど、どうしてそれを!」
「あたしが何年この仕事をやっていると思うんだい。 それくらいお見通しさ。」
「はあ、なるほど。」
妙な説得力がある。
「あんた、来年早々、その男と初詣に行くだろう?」
「え、ええ」
もはや、マリアは完全にこの辻占師のペースに巻き込まれていた。
「そのとき、ものすごくいいことがあるよ。」
「そ、そうですか?」
自然に頬が赤らんでくる。
「そうともさ、あたしが言うんだから間違いないよ。 この間もね、15、6の若い子が来てね。彼氏と初詣に行くってはしゃいでたから、『すごくいいことがあるよ』と言ってやったのさ。そしたらその娘のもう喜ぶこと喜ぶこと。ありゃあ、いいことしたって思うねぇ。」
「...なるほど、つまりみんなにそう言っているのですね。」
途端に、それまで上機嫌だった占師の顔が、いたずらを見つけられた子供のような表情になる。
「....しまったねぇ、ついしゃべり過ぎちまったよ。」
考えてみれば、『恋人がいる』と看破できれば、今言ったようなことは簡単に察しがつく。
「ふふふ、今度からは気をつけて下さいね。」
マリアは苦笑しなが立ち上がる。
「それで、見料はいくらですか?」
と、訊ねてから、『よろず占い鈴屋 見料50銭』と書かれた小さな看板に気が付いた。
「いいよ、今回はタダにしておいてあげるよ。」
「でも、そういうわけにもいきません。」
「いや、あんたは今の占いに満足していないだろう? それでお金を受け取っては、占師の名折れだからね。 いらないよ。」
「...そうですか?」
そうまで言われては、引き下がるほかはない。
「やれやれ、あたしも年かねぇ。」
「いえ、楽しかったですよ。元気を出してください。」
そして足元の荷物を取り上げる。
「それでは、寒いですからお婆さんも体に気をつけて。」
「ありがとうよ。....あ、そうそう」
歩き出したマリアを、鈴婆さんが呼び止めた。
「なんですか?」
「...察するに、あんた、いつも自分や他人に厳しいだろう? たまには甘えても、いいんじゃないかい?」
「...私は....」
答えつつ振り向いて、占師の目を見たマリアは、その先に続けようとしていた言葉を思わず飲み込んでしまう。
にこにこと品よくほほ笑む鈴婆さんの、細められた目の奥の黒い瞳は、全てを見通すような限りない透明さと、全てを包み込むよう、暖かいやさしさを、たたえていた。
「これは、おせっかいな年寄りからの、ほんのちょっとした助言だよ。」
「...ありがとう、おばあさん。」
そして彼女は、不思議と楽しい気分で大帝国劇場へと帰っていった。

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