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天下無敵の無一文 @ ppp063.tokyo.xaxon-net.or.jp on 98/1/31 12:05:30
In Reply to: 「正月大戦」〜マリアの純情〜(長文)
posted by 天下無敵の無一文 @ ppp063.tokyo.xaxon-net.or.jp on 98/1/31 12:03:41
前日、新年早々に降った大雪は、銀座の街を真っ白に染めていた。蒸気鉄道をはじめとする近代的な交通機関はもちろん、ここぞとばかりに張り切っていた人力車も動いていない。張り切り過ぎて、転倒して怪我をするものが続出したため、急きょ政府が人力車の組合に、営業の自粛を通達したためだ。
路面もあちこち凍結して滑りやすくなっているし、加えてこの寒さである。出歩くようなものはよほどの物好きか、さもなければ今日を外せない大事な用事があるものぐらいだろう。
そんな静まり返った街の人気のない通りを歩く、物好きが二人いた。
一人は厚手のコートとマフラーに身を包んだ、若い、精悍な顔つきの青年。
もう一人はいつもの黒いコートを着た、背の高いブロンドの美女。マリアと大神だ。
「しかし、すごい雪だったな。」
大神が、あきれたように言う。
「そうですね。確かに東京でこれだけの雪が降るのは珍しいでしょう。」
「...ああ、そうか。ロシアはもっとすごい雪が降るんだったね。」
「ええ、一度積もると、何週間も家の中に閉じ込められてしまうんです。」
「それに比べたら、こんな雪なんかで驚いていられないね。」
「ふふ、そうですね。」
そんなたあいもないことを喋りながら、二人は楽しそうに歩みを進める。
今日は前々から二人で約束していた、初詣に行く所だ。最初の予定では明治神宮に行くはずだったのだが、交通機関が軒並み麻痺しているため、少し離れた神社で済ませることにしたのだ。
「でも、かえって雪が降って、よかったかもしれないな。」
「何故ですか?」
「うん。最近こうしてマリアと二人で、ゆっくり話す機会が少なかったからね。」
にっこり笑う大神。
帝劇に来て、いや、この、大神一郎という青年に会って、自分は変わったとつくづくマリアは思う。
兄とも慕った、あの男性を失ってから、彼女はいつしか自分の心を、凍てついた氷のなかに閉じ込めてしまっていた。
それは、あまりにも大きな悲しみを経験した、少女だった自分にとって、仕方のないことだったのかもしれない。
そう、幼い心は、傷つくことを恐れて、他人との接触を拒むようになってしまった。心を開かなければ、人と係わらなければ、自分が傷つくこともない。
自分は変わった。ほんの少し前のの彼女なら、今のちょっとしたひとことだけで、動悸が激しくなったり、顔が熱くなることなど、有り得なかっただろう。
ましてや、相手の顔をまともに見ることが出来なくなったりすることも。
「? どうしたんだい?マリア。」
「い、いえ、何でもありません。」
あわてて自分の心を落ち着けると、傍らの男性に悟られないよう、ちいさく深呼吸する。
「それはそうと、みんなに悪い事をしてしまいましたね。」
「...ああ、そうだな。」
今ごろ、劇場では、黒子や従業員達はおろか、花組メンバーまで総出で、雪かきの真っ最中だろう。
沢山のお客さんを収容するために、やたらと大きな建物である大帝国劇場は、そのぶん面積が広く、自然雪かきする範囲も広大で、かなりの重労働となる。
だいぶ前から休暇を取ることが決まっていた二人だが、さすがに今日はみんなを手伝ったほうがいいだろうと米田支配人に申し出たところ、「いいから行ってこい!」といういつものセリフで早々に劇場を追い出されてしまった。
多忙な毎日を送る二人に対する、米田なりの親心だというのは分かっていたが、快く自分たちを送り出してくれた仲間達に、どうしても後ろめたさを感じてしまう。
そうこうしているうちに、目的の神社が見えてきた。遠目にも、屋根に雪が積もって白く見える。大きな朱塗りの鳥居をくぐって境内へと足を踏み入れると、参道のあたりは雪かきがされて、随分と歩きやすくなっていた。こんな日でも、時節のせいか、マリア達以外にも、ちらほらと参拝客がいた。
「思ったより人がいるね。」
「そうですね、やはりお正月ですから。」
あたりを見回していた大神は、ふとあるものに目を止めた。
「あ、あんな所におみくじがある。ちょっと引いてみないか?」
「いいですね、お供します。」
そして...
「あら、大吉ですよ。 隊長はどうでした?」
「...末吉、まあ、凶よりはましかな。」
はははと苦笑いする。
神社という、霊的にも落ち着いた場所のせいか、二人とも、普段人の多い都会では珍しい、自然な安らぎを感じていた。
「さて、とりあえずお参りを済ませてからどこかで休憩にしよう。」
「そうですね、おなかもそろそろ空いてきましたし。」
「あれ? マリアがお腹空いたなんて言うの、はじめて聞いたなぁ。」
「もう、失礼ですよ? 私だってお腹ぐらい空きます。」
心外だとでも言いたげな様子を装って、この青年の困った顔を楽しむのは、最近マリアが覚えた娯楽の一つだ。
ちゃりん
がらんがらん
ぱんぱん
そして手を合わせる。
ずっと昔から幾多の人によって繰り返されてきた一連の手順を踏み、今年一年が無事にすぎるように祈る。
彼女は神を信じてはいないが、このお参りという風習は嫌いではない。なんとなく、だが。
「さて、さっきの茶店で一休みしていこう。」
「隊長は、何をお願いしたのですか?」
「...うーん、大したことじゃないさ。」
ごまかし笑いを浮かべながら、大神は質問をはぐらかすのだった。
店の中に入ると、若い店員が窓際の席に案内してくれた。二人は軽い食事を頼むと、外を眺める。
都会に埋もれた小さな森。そんな印象を受ける緑の多い境内も、いまは白い雪に覆われている。
ひときわ大きな大木のそばで、近所に住んでいるのか、数人の子供たちが雪合戦をしていた。
「俺の生まれた栃木も雪が多くてね。子供のころは、よくああやって遊んだなぁ。」
懐かしそうに、雪と戯れる子供たちを眺める。
「そういえば、隊長の子供のころって、どんな感じでした?」
「うーん、そうだなぁ...」
ところどころ脚色を交えながら、大神は求められるままに自分の昔話をはじめた。

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