リレー小説『土星』 第1部



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投稿者: さすらい @ 133.65.41.10 on 98/3/23 16:01:17

第1部 『生まれしアダム』


 白い少年―白い翼を持ち、ヨーコと同化した者― は滑るように研究所の廊下を歩いていた。廊下の突き当たりには入り口があり、その部屋には無数のうごめく機械に囲まれて、初老の男が書き物をしていた。
 少年が音もなく部屋に入る。男はびくりとして顔を上げ・・・さらなる驚愕を顔に浮かべた。
「あ・・・・アダム・・・」
 少年がくすりと笑う。皮肉にあふれた、この上なく神秘的な笑い。男は怯えながらも、その笑いから目を離すことが出来ないようだった。食い入るように少年の顔を見つめる。
「何を驚いているの? あなた達が望んだ事でしょう?」
「あ・・・・」
 少年の言葉が強くなるにつれて、背についた羽が膨らむ。男はしりもちをついたまま、後ずさりをしている。そんな男を少年は軽蔑しきった表情で見つめると、言葉をつなげた。
「でも、ちょっと早かったんじゃない? この僕を支配しよう、なんてさ」
「うあぁぁぁっぁ!!」
 男が絶叫をあげて逃げようとする。けれども這うようにしか動くことが出来ない。少年は部屋の中央までじりじりと歩を進めると、男の背中に向かって壮絶な笑みを浮かべた。
「ここも真っ黒だ。・・・要らないよね? こんな所」
 少年はそう言って小さくと笑うと、右手を横に薙いだ。それと同時に右の羽が無数の光の矢を生み出し、コードを鉄板を切り裂く。ばちばちっと言う音がして複雑怪奇な機械の右半分は壊れ、蛍光灯がぱりんと割れた。
 そして次に左手。光線が舞い、いくつものプラズマが空中に浮かんでは消える。機械のショートが治まると、少年の体だけが薄闇の中ぼんやりと光っていた。
 扉の真正面から、ひぃという声が聞こえる。姿は見えないが、おそらく男の発したものだろう。彼の恐怖と動揺だけが、空気を通して伝わってくる。
「お、お願いだ・・・。やめてくれ・・・」
 少年がそれを聞いて、口の端をつり上げる。
「何言ってるのさ。これが貴方のしたことだよ。今更何を言うの? 貴方も黒いんだね、それなら・・・・」
「や、やめて・・・」
 しゅばっ、と言う音がして、光の玉が生まれて消えた。男の気配はもうそこになかった。
 ヨーコは軽く肩を動かしながら、つぶやいた。
「まったく・・・なんて黒い世界なんだ。いつか一掃できるときまで、僕は休まなくちゃならない・・・・」
 そう言った途端、背中に生えた羽が急速に縮みだした。それは折り畳まれ、縮小され、最後にはヨーコの背中からすっかり消えてしまった。少年は息を深く吸い込むと、自らの瞳を閉じた。首ががくんと落ち、そのまま体は床に倒れ込んだ。白い輝きは徐々に失われ、その肉体は果ててしまったようにさえ思われた・・・・。

「・・・ん?」
 ヨーコは床に倒れている自分を認識した。ひんやりとした床が彼女の体温を確実に奪っている。慌てて立ち上がるが、周りは真っ暗である。
「・・ここ、どこ? 暗くて怖いよォ・・・」
 どうやら自分が閉じこめられていた牢屋ではないらしかった。今自分がいる空間は明らかにあそこよりも広いし、観察用の窓も見あたらなかった。
 壁に激しく自分を打ち付けたところまでは覚えていた。あれから自分はどうなったのだろうか。あまりの怪我の酷さに、どこかに運ばれたのかもしれない。そう思って辺りを見回すと、少しだけ明かりが見えた。
「・・・帰りたい・・・・」
 大好きな母と父の待つ家に帰りたかった。嫌だと言ったのにここに見捨てていったあの日のことは今でも哀しい記憶だけれども、今は恋しくて仕方なかった。
 ヨーコは光に向かって走り出した。光へ、光へ! 途中様々なものが彼女の足をからめ取った。尖った鉄片、ちぎれたコード、ガラスの破片・・・・。何度も転び、幾度と無く痛みに顔をしかめつつも彼女は戸口を出た。そこから一直線に光が続いている。彼女は一目散に走った。こんな暗くて無機質な空間には1秒だっていたくなかった。
 どれくらい走ったのだろうか。ヨーコは突然足の感触が変わったのに気付いた。まばゆい光が視界を埋め尽くす。冷たい床ではなく、くすぐったい芝生が彼女の足の裏を刺激していた。風が吹き付け、その香りは心なしか甘い。
「外、だ・・・・・」
 そう気付くと、ヨーコは初めて笑った。解放された喜びでいっぱいだった。だが、すぐにきっと前を見つめると、自分の行くべき場所を目指すことにした。
「ママ・・・・」
 そうつぶやくと、ヨーコは一目散に走り出した。方向など知らないはずなのに、彼女の足は前へ前へと進んでいった。なにかが彼女を引っ張っていた。
 町の景色が変わり、幾人かとすれ違い、足がもう動かないことを痛みによって訴え始めた頃、ヨーコは見慣れた町並みを見つけた。かつての幼なじみと遊んだ公園が、母に連れられてよく行ったおばさんの家が目に入った。
「もうちょっと・・・・」
 そう自分に言い聞かせると、ヨーコは棒に近くなった足をめいっぱい動かした。遅くはあったけれども確実に前に進み・・・彼女はとうとう懐かしい家の前についた。
 柵にはガーデニングが隙間無くほどこされ、白い門の横には緑のポストが立っていた。白い壁も、ピンクのカーテンも、レンガ色の屋根も何もかも変わっていなかった。ヨーコは興奮のあまり、門を乱雑に開けると、玄関に向かって駆け出した。背中でキーコキーコとなっている門を閉めることなど、考えもしなかったのだ。
 玄関は開いていた。懐かしい仕草でドアを開けると、ヨーコは母を捜した。キッチンの方からよい香りが流れており、食器のふれあう音が聞こえた。
(ママだ!)
 小走りにキッチンのドアをくぐると、ヨーコは目の前でエプロンを掛けて皿を並べている女性に声をかけた。
「ママ!」
 女性は瞬発的にこちらを振り向き・・・・そのまま凍り付いた。手に持っていた皿が床に落ちる。がしゃんと言う音を立ててそれは粉々に砕け散った。
 青い顔をして呆然と立ちつくした女性は、落とした皿を拾おうともしなかった。そしてゆっくりとその呪縛を解くかのように、首を横に振る。その動作は、まるで目の前にいる人物を否定するかのように、徐々に早さを増していった。
 ヨーコは母の奇怪な行動の訳が分からず、首を傾げた。
「・・・ママ・・?」
「ぃ・・・・・いやぁぁぁぁぁっぁぁ!!!」
 突然女性は叫び声をあげると、崩れ落ちた。その目は大きく見開かれ、唇は小刻みに震えている。そのまま手を使って後ずさりをしている。
 ヨーコは驚いて一歩近づいた。多少年を取ってはいるものの目の前にいるのは母であり、その母が何故自分に対してこんな行動をとるのか全然分からなかった。手を少し伸ばし、母に触れようとする。
「ママ、どうしたの・・・・?」
「いやっ、いやっ、近寄らないでっ!!!」
 女性は泣き叫ぶと、後退し、キッチンの扉にぶつかった。そのまま頭を抱え、激しく左右に揺さぶる。後ろにまとめてあった綺麗な黒髪は乱れ始めていた。
 ヨーコはそれを見て、とても悲しくなった。せっかく母と会えたというのに、その母は自分を抱きしめもせず、遠ざかっていく。又見放されるのかと思うと、自然に涙があふれていた。
「ねぇ、ママ、どうして・・・? 私、帰ってきたのに。私、一生懸命・・・」
 後は続かなかった。涙がひっきりなしに溢れ出て、彼女の顔を濡らす。ヨーコはこみ上げてくる嗚咽を止めるために、唇を噛みしめなければいけなかった。
 女性はしばらく半狂乱になっていたが、落ち着くと、まるで今初めて我が子を見るようにヨーコを見つめた。呆然とした口元から、言葉のみが漏れる。
「・・・本当に・・ヨーコなの・・・?」
「うっ・・・うっ・・・・・」
 ヨーコはまともに返事をすることが出来なかった。ただ悲しくて、泣いていた。母に忌まされた行為はヨーコの記憶を刺激し、あのつらい檻生活や実験の数々を思い出させていた。
 女性は乱れた髪を耳にかけると、腰を浮かした。そのままおそるおそる片手をヨーコの方へ伸ばす。まるで幽霊に触れようとするかのように。
 女性はヨーコの柔らかな頬に触れた瞬間、一瞬手を引いたが、また触れ直すと、ゆっくりと撫でた。
「本当に、本当に、ヨーコなのね・・・・」
 まだ信じられないといった表情で女性はヨーコの顔を上げた。その目は驚きと喜びと・・・・・恐怖を見せていた。ヨーコは最後に見えた感情を不思議に思いながらも、何とか泣きやもうと必死だった。女性はそのままヨーコの体を自分の方へ引き寄せた。
「・・ごめんね・・・。あんまりにも突然だったから・・・」
 それを聞いて、ヨーコの瞳に又涙があふれ出した。母は泣きやませるために、その後も優しい言葉をかけ続けた。
 しかし泣きながらもヨーコは分かっていたのだ。抱き寄せた母の手が小刻みに震えていたことを・・・・。

 突然ブチッと言う音と共にヨーコの世界は消え去った。
 後には巨大なスクリーンが黒々とそびえ立っていた。その前に座っている男は惜しみない拍手を続けていた・・・・。

* * *

「どうしたの? 僕が分からない・・・・?」
 メイファの目の前の青年は柔らかな笑みを浮かべて彼女を見下ろしていた。確かにこの声を口調を笑みを自分は知っている、とメイファは思った。けれども理性はそれについていかなかった。なんとか、言葉を絞り出す。
「本当に・・・レイ・・?」
 それを聞いたレイは、ふっと笑みを深めた。
「そうだよ。いつだって君のそばにいたじゃないか。そしてこれからも・・・」
「あ・・・・・」
 涙が、溢れていた。大切な友達を失うのは1回で十分だった。
 そんなメイファを見てレイがちょっと眉を寄せる。
「泣かないでよ。困ってしまう」
「あ・・ごめんなさい。嬉しくって・・・・」
 その時、横から物音がした。レイのはじき飛ばした女性が、意識を取り戻したのだ。メイファが思わず体を堅くする。

「イレイザーの捕獲。任務再実行・・・・」
 弥生はそうつぶやくと脇腹を抱えて立ち上がった。一瞬何の攻撃が行われたのか分からなかったが、どうやら気弾みたいなものを脇腹に打ち込まれたらしかった。この自分がいともたやすくはじき飛ばされたことで、目の前の青年を憎く思っていた。なんとしてでもイレイザーを師走様の所へつれていかなければいけない・・・・。

「下がって、メイファ」
 レイがメイファをかばうようにして腕を出す。そのりんとした動きを見て、メイファはおとなしく従うことにした。さっきまで自分と変わらなかった少年の背に、今自分がすっぽり隠れられると分かると、なんだか複雑な気持ちだった。
「大丈夫なの・・・?」
「・・大丈夫だよ」
 おそるおそるメイファが訊ねると、レイは最高の笑顔でそう答えた。
 と、いきなり、目の前の女性が腕をつきだした。次の瞬間5本の棘が2人をめがけて飛んできた。女が指から棘を生み出したのだ。メイファが思わず目を細めると、それは2人の50センチ手前で何かにはじかれた。
「ちっ」
 女の舌打ちする音が聞こえる。
 レイはにっこりと笑うと、からかうように女を見つめた。
「シールドがはれるからね。そんなくらいじゃ、効かないよ。・・・じゃ、お次は僕から」
 レイがそう言うと、ざんっと言う音がした。見てみると、女の2の腕が両腕ともきずを負っている。斜めのかなり深い傷である。メイファは見ていて、眉を寄せた。血が一滴も出ていないのである。赤くぱっくりと開いている傷口にも関わらず、そこからは何も流れ出ていなかった。
 女は無表情にこう言った。
「両腕上部に損傷。パーツ変更の必要なし。任務を続行」
「へぇ・・・アンドロイドって訳か」
 レイが面白そうに言う。
(アンドロイド・・・)
 聞いたことがある、とメイファは思った。本体と同じように動く手足を付けることによって、痛みを感じず戦闘に強くなると言う。確かにそれなら血も流れないはずだった。
「じゃあ、僕らも本気出さなきゃね・・・」
 レイは女性を見つめながらそうつぶやくと、いきなりメイファの方へ向き直った。とまどうメイファ。それを見てレイは微笑んだ。
「いい? リラックスして・・・。僕らはもともと1つなんだ・・・」
(元々、1つ・・・・?)
 レイの手がメイファの両肩に置かれる。暖かさが伝わってくる。安らぎの海にいるような、そんな暖かさだった。
(・・・!)
 レイの顔が近づき、額を合わせた。そこから彼は・・・・メイファの中へと入っていった。
 それはごくごく自然な行動に感じられた。解け合っていくことは異常ではなく、元々溶け合っていたものが還っていくような・・・・。
(そうだよ、これが僕らだ)
 レイの言葉が心の中に響く。
(僕ら・・・?)
(そうもともと1つなのさ。一緒になって初めて’イレイザー’になれる・・・)
(わかった・・・・)
 メイファはゆっくりと目を開いた。目の前に女性が見える。目は1つしかないはずなのに、レイの目と自分の目の2つで見ているような感覚に襲われた。そこはかとない自信と力が彼女を満たしていた。
『さァ・・・・どうする・・・?』
「ひっ・・・・」
 目の前の女性は悲鳴を上げると虚空にかき消えた。
 その途端、メイファの精神力は切れ・・・・・レイを内に抱えたまま床に倒れ込んだ。
* * *

 師走祐司は自室のスクリーンの前に座っていた。
 目の前に凹型になった、巨大がスクリーンが浮かんでいる。なにも映っていない。先程までは幼いヨーコが映っていたスクリーンである。
「・・・・面白い・・・・」
 師走はそう言うと、自分の発言に驚いたような表情をし、口の端を持ち上げた。
「正しかったわけだ・・・・あの予言は」
 師走は自分の思考の世界に入り込もうとしていた。
 その時、後ろからクスクスという笑い声が聞こえた。
「誰だっ!?」
「ずいぶん面白いものを見ていらっしゃいますのね」
「・・君ですか」
 師走の視線の先にいるのは1人の女性だった。黒いストレートの髪をヒップまで伸ばし、深い海のようなブルーアイを持っている。黒いジャケットにロングタイトを身にまとっている美女だが、髪から少し突き出ている耳が彼女に感じる違和感を醸し出していた。
「ひどい言われよう。私にだけ指令を下さらなかったんじゃありませんか」
 闇月は戸口の所に寄りかかり、わざと嘆くような仕草を見せた。明らかにからかっている。
 彼女は季候衆の隠れた13番目の月、闇の世界を司るその名を与えられている。それ故表には顔を出さないが、その力は季候衆に置いて必要不可欠となっている。
 師走は苦笑してしまう。この闇月だけは自分に対してずばずばとものを言うのだ。他のメンバーは面と向かってではなく影で自分の悪口を言っている感がある。
そう思うのなら、采配を振ればいい、と師走は思う。他の誰もができず、自分が適任だと思うからこそ、“戦闘帝”さえも殺害したのである。今更文句を言われるのはおかしい。
「ええ、そうですね。君は、例の力があるから」
「ふふふ・・・・その例の力の情報をお教えしましょうか?」
 闇月の特殊能力。その戦闘性も他の季候衆に劣ることはないが、彼女にはさらなる武器があった。テレパシーである。他人の波長を掴んで、他人に起きている情報を知ることができるのだ。もちろん前もって波長を合わせて置かなくてはいけないので、季候衆の見張り役を、今は専らつとめている。季候衆同士の会話も、実は彼女が仲介しているのであった。
 流れるような黒髪に見え隠れする耳こそ、その力の証である。その為あまり人前には顔を出さず、師走の所にばかりいる。師走は力が強く心が読みとれない為、一緒にいても気が楽らしい。
「何かはいったのですか?」
「ええ・・・・。D-イレイザーが統合されたそうです。あの弥生さんが怯えてましてよ」
 闇月はさも可笑しそうにまたクスクスと笑った。
「ほう、あの弥生が・・・所詮そこまでですか。水無月たちに行かせましょう。5人ならいいでしょう」
「わかりました、伝えます」
「お願いします」
 師走の表情は変わらない。しかし、内心では今回の殺戮の最終目標が刻一刻と姿を現していることを楽しんでいた。弥生のことなど考えていない。成し遂げるべき事から見れば、仲間などただのコマである。何人すり減ろうが代わりはいる。獲物を捕まえることさえ出来ればいい。
「・・・・相変わらずですわね。そうそう・・・どなたと統合したかお分かり?」
 挑戦するような目つきで師走を見てくる。もちろんわかっているだろう、と言いたげな目は、それでも冷たさを消し去っていない。
 師走は口の端をゆがめて落ち着き払っている。
「ええ・・・・2人目の“アダム”です」
「ご名答。・・・あの予言、当たりましたのね」
 闇月は言葉を紡ぎながら、師走に近寄っていった。他のものなら怒鳴られる位置まで近づいても、師走はなにも言わない。少し、身を固くするだけである。これが冷酷な指導者の0.1%の人間らしさだ。だがしかし、所詮これ以上は望めない。
 師走はゆっくりと膝の上で指を絡ませると、全世界に予言をするようにこう言った。
「そう・・・・・これからですよ。全ては」
「私は・・・・いつでも貴方のおそばに」
 素直な気持ちで言った長月の言葉を、師走はもう聞いていないようだった。
 闇月は少し眉を寄せると、なにも言わずに師走の元を辞した。計り知れない存在であることを苦しく再認識しながら。

 師走は闇月が去っていったのに気づかなかった。
 目はどこも見つめておらず、組まれた手は微動だにしなかった。ただその薄い唇だけが、無数の言葉を生み出していた。
「・・・・・・・『2組のアダムとイブ。それらが共に交わり享楽に打ち震えるときこそ、世界に破滅をもたらす力現れん。そのものたちいかなる容貌を持とうとも、その魂において道定められし悲運の者なり。道交わるとき近づけば、2本の剣、亜空間より現れ、互いに殺し合う存在となる。その時、全ては無に帰し、力持つもの、この世に誕生すること永久にあらず。』・・・・・・逃しませんよ・・・・」