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投稿者:
錦太郎 @ sutkmax1-ppp12.ed.kagu.sut.ac.jp on 97/8/30 20:28:07
In Reply to: では法然の立場はどうなるの?
posted by TRICKSTER @ p3spr014.highway.or.jp on 97/8/30 19:51:26
> 親鸞はこのように言ってます。
>
> 「親鸞においてはただ念仏して弥陀にたすけられまいと
> すべしと、よきひとの仰せを蒙りて信ずるほかに、
> べつの子細なきなり」
> ここでいう”よきひと”とは、法然のことです。
>
> また、
> 「法然の仰せまことならば親鸞の申すむね、また以て虚しからずや」
>
> 親鸞の教えが誰よりも正確ならば、親鸞はよほどのゴマスリか
> 大うそつきと言うことになります。
>
> あなたの信ずる宗派の開祖の言葉をあなたが否定するとは
> 自己矛盾と思いませんか?
私の好きな歎異抄第二章(感激やぁ^^)
あなたの仰有ることもごもっともだと思います。
これを知るには当時の仏教の背景を知らねばなりません。
当時の仏教界は聖道仏教が主流でしたからね。つまり、お釈迦様の教えがあって(教)、
その通りに修行すれば(行)、悟りが開ける(証)という教えがそれです。
また、こういう風に説明しなければ誰も納得できませんよね?ですから法然上人も
釈尊の教えがあって、念仏をとなえれば(行)、極楽に往生できると教えられたんです。
念仏をとなえればというのは、ただ念仏となえていればよいというわけではないんですけどね。
ここらへんは大変難しいのでとりあえず省略させて頂きます。
法然上人の教えだと上に書いたようにただ念仏さえしておればよいのか、と勘違いする人が
出てきたんですね。(これが浄土宗)ですから、親鸞聖人はもう間違いのないように信じる一つ
で救われると教えられたんです。これは当時の仏教界から言ったら、とうてい受けいれられない
ことなんです。だってそうですよね?釈尊の教えどうり、修行して悟りが開けるという聖道仏教
をしている人たちにとっては信じる一つなんて言われた日にゃぁ「ふざけるな!」ということに
なるでしょう。苦しい修行に耐えて必死で励んでいるんですから。ですから、法然上人は「念仏」
ということで教えていかれたんです。
難しいので譬えで話します。法然上人の教えは,財布を与えてこれで買い物ができる、
という教えです。しかし、これですと財布さえあれば買い物ができるのかと勘違いする人が
絶対出てきます。そこで、親鸞聖人は財布から中身(お金)を取り出してこれで買い物が
できるぞ、と教えていかれた方です。もう間違える人がないようにとそうしたんですね。
ここでたとえられた財布というのは念仏のことです。お金は信心のことです。
法然上人と親鸞聖人の教えはここが違うんですね。もちろん、法然上人の教えの
真意は信心にあったんですが、何度も言っているように当時の仏教界ではそれは
とうてい受け入れられるものではなかったんです。
簡単に言えばこうですね。
- ということは - TRICKSTER 97/8/30 21:12:46
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