|  
 [ このメッセージへの返事 ]
[ 返事を書く ]
[  home.html  ]
 
  
 投稿者:
錦太郎  @ sutkmax1-ppp12.ed.kagu.sut.ac.jp on 97/8/30 21:34:26
 
In Reply to: ということは posted by TRICKSTER  @ p3spr025.highway.or.jp on 97/8/30 21:12:46
 
法然上人の教えは念仏ということを強調されたものです。しかし、ここで言う念仏というのは他力の念仏と言うことです。
 他力の念仏と申しますのは、阿弥陀如来にすくいとられてからのお礼の念仏という
 ことです。
 法然上人の言葉で言えば
 「もろこし我が朝(ちょう)にもろもろの知者達の沙汰し申さるる観念の念にも
 非ず、又学文をして念の心を悟りて申す念仏にもあらず。ただ往生極楽の為には
 南無阿弥陀仏と申せば疑いなく往生するぞと思いとりて申す外に別の
 子細候わず」(法然上人)
 
 太字の所が信心です。信心を頂いた人は極楽いき間違いなしと知らされるわけです。
 法然上人も真意は信ずる一つだったんです。さっきも言ったように信ずる一つなんて
 言われても誰も理解できませんからね。だってそうでしょう?信じる一つで東大に入れる
 なんて言っても誰も納得できません。一生懸命勉強して初めて東大に入れるんですから。
 ですから、法然上人は念仏と言うことに重点を置いて教えていかれたんです。真意は
 「信ずる一つ」にあったんですよ!
 
 しかし、それですと念仏さえ称えておればいいのか、と勘違いする人が必ず出てきますので
 もう、間違いのないように親鸞聖人は念仏から信心を取り出して教えていかれたんです。
 
 かなり難しい話だと思いますのでわからないことがあるかもしれませんが、こういうことになります。
 
 
 
 
  
 
 
   |