打ち止め。



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投稿者: ヤの字 @ 130.54.37.53 on 98/2/27 11:52:14

In Reply to: Re: 遅くなりました

posted by レグルス @ ppp219.jsdi.or.jp on 98/2/27 02:29:08

長々とおつきあい下さいまして、ありがとうございました。
ずいぶん遠くなってきたので、そろそろ打ち止めにしたいと思います。

> データなどで出た数字は、教育の中身を明確に提示できるものではありません。
> 詰め込み教育で得た知識は多いでしょう。でも教育は知識だけ教えることでしょうか。
> 知識は物事を考えるための材料にすぎません。いかにそれを活用できるか、どう組み
> 立てる能力があるかが重要なのではないでしょうか。

それは、もちろんおっしゃるとおりです。ですが、知識を得る、という
こともまた教育の重要な要素であり、特に子供のうちに必要な知識を
強制的に与えることは必要ではないか、と思います。そのために、いわ
ゆる画一的な教育になるのはやむを得ない、というのが私の立場です。
繰り返しになりますが、少なくとも義務教育課程での知識は、現在の
社会を維持するために必要です。
おそらく、レグルスさんと意見が異なるのは、この点においてではない
でしょうか?

> それは、応用力においてでしょう。既成のものを応用することより、新しいことを一から
> 始めることのほうが、世の中を動かしていくのではないでしょうか。

新しい発想なくして、応用ができるとお考えですか?

> 自分は凡人だからと諦めさせられている人より、可能性を見出すことが可能な環境の
> 中で、可能性を追求し得ることのほうが、結果平凡に終わったとしても、有意義な生き方
> なんじゃないでしょうか。

> 可能性を摘み取っているのも、見ようとしないのも、すべての人々に同質性を強制する
> この国の国民性、すなわち、その国民で構成されている社会です。

国民性については、同感です。でも、そのことと子供に共通した
知識を与えることは別に考える必要があるでしょう。

> 切り捨てること自体無理でしょうと言ったことはありますが、すべて切り捨てることが
> 最善の策だなんて言った覚えはありませんが。学校教育の中でよりよい教育が出来るので
> あれば申し分ないことですが、それが不可能であるなら意味のある教育とは言えないと
> 言ったまでです。

これは、私の勇み足でした。申し訳ありません。
>本来なら、強いられるだけで、なんのためにもならないような学校教育
>における「勉強」より、自分から進んで興味をもって学べる学校教育と
>は切り離した「学習」のほうが、よほど意味があると思いますがね。

と、いうご意見だったので、誤解してしまったようです。
途中、論旨が混乱してしまい、失礼しました。