『GEYZER』 第五回 第一部終了……そして



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投稿者: 柏木耕一(旧・日光) @ p17-dn01kuki.saitama.ocn.ne.jp on 97/10/19 14:37:04

 千秋。どれほど愛しても愛し尽くせない、最愛の妻よ。
 俺は今、おまえの仇をとったぞ。『探索者』を斬った。しかし……おそらく、俺もまた奴のようになってしまうだろう。その前に俺は命を断とうと思う。あいつと同じ存在に成り下がり、あいつと同じ過ちを犯すなど、俺には我慢できない。
 だから俺はおまえの許に行く。
 抱きしめてくれ、千秋。またあの日の幸せが取り戻される。
 愛してくれ、千秋。おまえの姿を、声を、再び俺にもたらしてくれ。
 だから俺は命を断つ。
 見ろ、千秋。おまえが愛した者達、おまえが見守ろうとした人間達が、斧を、鍬を、鋤を持って俺の体を切り刻まんとしているぞ。
 愚かだな……俺も、あいつらも。
 愚かすぎる。まるで−−虫ケラのようだ。
 もしこの世に神がいるなら、あいつらは何故断罪されることがないのだろう。
 『探索者』は断罪された−−そして俺は、自ら罪を犯そうとしている……ああ!

 変わっていく……早く、早く殺してくれ!

 ハヤク!!

                ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

「私ね、わかったんだ。私が三浦千秋なんだよ。私の前世は三浦千秋なんだ」
 美雪は、自慢のおもちゃを見せびらかす子供のような、とても嬉しそうな表情を浮かべていた。泥の中に倒れ、自分の肩を抱きしめ苦しみもがく拓也を見下ろしながら、言葉は歌うように紡がれていく。
「わかったのは、最初に『探索者』−−本当は『GEYZER』って名前だったんだけどね−−を見たとき。あの森ね、昔拓也ちゃんとよく遊んだ場所なんだよ。私、寂しくなるといっつもあそこに行ってた。あそこに意味があるなんて知らなかったからね。
 ちょっと前だよ、あそこに源三郎おじさんが来たのは。何か石の前でごにょごにょ呟いて……しばらくしたら、あの石が真っ二つに割れたの。それでね、中からあいつが出てきたんだ。とっても大っきい、真っ赤な毛虫みたいな奴なんだよ。
 それでね−−おじさん、殺されたんだ。一回、ぶすって触手を刺されてね、死んだの。でもおじさんは生き返ったよ−−『GEYZER』の子供として。あいつはね、いつでも産卵してるんだ……そうしないと、種として生き残れないから。あいつの最初が誰だったかなんて、それこそ誰も知らないことだけど−−あいつは誰かに卵を産み付けて、最も強く適合した人間を次の『GEYZER』に選ぶんだ。『GEYZER』にだって寿命はあるし、いつ外敵にやられちゃうかもわかんないものね。それでおじさんは審査にかけられたんだと思うよ。
 でもね、駄目だと思う。だってあいつと適合が一番強いのは、三浦千秋−−私なんだもん。何となくわかるんだ。あいつが私を呼んでるよ……私から生まれようとしてるよ。だからおじさんは単なる駒なの。私に近づくための駒。
 でもね……拓也ちゃんが、帰ってきちゃった。三浦宗二朗が帰ってきた。あいつは一度自分を殺し、石の中に塗り込めた三浦宗二朗をとっても恨んでる。だからあいつは、計画を変更して……拓也ちゃんを苦しめて、拓也ちゃんの体に産卵して……そこから生まれた出来損ないの『GEYZER』で、私に卵を植え付けようとしてるんだよ」
 穏やかな笑顔をその顔に湛え、美雪はそっと拓也の頭を抱きかかえた。既に彼の瞳孔は開き、口からは赤黒い舌が別個の器官のように飛び出ている。手は時折痙攣し、だらりと投げ出された脚は自らの体を支えてはいない。
「拓也ちゃんが『GEYZER』に狙われてるのなら……私が守るよ。それが約束だよね……『宗二朗』」
 遠雷が鳴り響く……嵐はようやくその破壊の腕をふり回すことをやめたようだった。

 突然、拓也の瞳が焦点を結んだ。

「俺が……三浦、宗二朗……?」
「そうだよ。私が三浦千秋。それで、拓也ちゃんが三浦宗二朗なんだよ」
 言葉の意味を理解したわけではない。三浦宗二朗も三浦千秋も、遙か昔に死んでいる人間だ。前世という考え方を拓也は全く信じていなかったし、信じようと思ったことすらなかった。
 理屈で言えば、だから拓也にはそれを信じることなどできるはずもなかったのだ。
 『自分が三浦宗二朗だ』などということは。

「俺は……三浦、宗二朗なのか……」

 鳥が三羽、風を切って空を舞う。溶鉱炉の中でうねる灼熱のような朱が、狂おしいほどに美しく、拓也の頭の中ではね回る。現実と虚構がない交ぜに混ざり、視界がどろどろと歪んでいく。
「……わかったでしょ? 拓也ちゃんは、三浦宗二朗で……『探索者』とは、相容れない存在なんだよ」
 美雪は子供を寝かしつける時のような優しい声音で呟く。その言葉が全て聴覚器官に浸透すると同時に、拓也の思考は爆発を起こした。

                ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 雨が止み、緑色の葉が雫を湛え、時折身を震わせる。村は行き過ぎた嵐を見送り、静かな時間を取り戻していた。
 しかしその静寂は、今まで有り得なかった静寂でもあった。
 破壊された道路と建物が、村人達の血で真紅に染め上げられている。腹を割かれ、或いは頭部を失い絶命した人々の死体に巣くった小さな『毛虫』は、ただ一心にその肉を貪り食っている。
 最早原型を留めていないもの、骨となってしまったもの、真新しいもの−−幾多の屍が転がる中を、拓也と美雪は、ある場所を目指して歩みを進めていた。
 降り注ぐ日差しは優しく、彼らの体を包み込む−−。

                ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 何か、馬鹿馬鹿しいスプラッター映画の中に放り込まれたような、そんな気がした。安っぽいセットにちゃちな特撮、お粗末な俳優に新米のスタッフ。最悪の状況で作られた、出来も最悪の映画。
 疲労で重くなった足の痛みを誤魔化して、俺は自らの家を目指して歩いていた。
 あいつはそこにいる。美雪はそう言ったのだ。
「あそこが村の中心だから……あいつは、拓也ちゃんの家にいるよ」
 その言葉に従って、俺は薄汚れた体をひきずるようにして歩いている。
 まともに考えれば、実際馬鹿げたことではあった。前世がどうの、『探索者』とかいう化け物がどうの、種の保存がどうの……普段の俺なら、絶対取り合いもしないことばかりだ。
 しかし俺は、それが美雪の言葉だというだけで信じてしまっている。
 盲信と言われればそれでお終いだ。現に俺も、何故こんなことをしているのか、理由が全くわからない。嵐は止んだのだから、とっとと逃げてしまえばいいだろう。電話線が切れているなら山道を抜ければいいだけの話だ。わざわざ化け物がいると予想される館になど、何があろうと戻るべきじゃない。そう、何があろうと−−。
「怖かったら逃げてもいいんだよ」
「……馬鹿言うな」
 俺は少しだけきつい口調で言った。自分の恐怖心を見透かされたみたいで恥ずかしかったのだ。
「あいつを殺さなくちゃいけないんだろ? 俺は……三浦宗二朗だから」
「そう。あいつが私を殺しに来るからね。でも別に、私を守らなくたっていいんだよ。拓也ちゃんは拓也ちゃんだもの……拓也ちゃんの決めた通りにすればいいよ」
 だったら……。
「俺は、美雪を守るさ」
 心を守れなかった……だからせめて、その命だけでも−−守るよ、美雪。

                ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 館は静謐だった。いつまでも永遠にそうなのではないかとも思える程に、物音一つ内包せずそこにある。窓硝子が全て叩き割られていても、玄関が原型を留めていなくても、ところどころ外壁にひびが入っていても−−それが拓也の家であるという事実は動かない。問題は中に何がいるかであり、誰が生き残っているかだ。
(親父も、加世子さんも、死んだのか……)
 生きている可能性を、拓也は全く考えなかった。叶わない望みは抱かない……それが彼の信念だった。それに、たいして生きていて欲しくもない。
(特に、親父はな……)
 美雪の話が本当ならば、源三郎がこの事件の張本人と言っても過言ではない。『探索者』を解き放ち、この村を壊滅に追い込み−−美雪の心を壊した張本人。
 その罪は重い。美雪を傷つけた罪は−−決して贖うことなどできない、人間の身では償う術などない……死ぬべきなのだ、秋川源三郎は。
 拓也は一歩足を踏み出すと、破壊された扉をくぐって館の中に入った。
 屋敷の中は、いやに雑然としていた。壁の破片とおぼしきもの、細かく銀色に輝く硝子片、そして−−死体。いや……それは或いは、死体ですらなかったかもしれない。
(生前の姿を聞かれても、わからないだろうな……)
 どこか呑気に静観している自分を頭の片隅に捕らえながら、拓也は口をもごもごと動かすだけの発声を行った。
 既に単なる肉塊と化したそれには、無数の赤い毛虫がたかっている。屍肉をむさぼる水っぽい音が、静かな館内に嫌によく響いていた。
「……まだ、近くにいるよ……」
 美雪が小声で呟く。恐れているわけではないようだ−−むしろ、どこか楽しげにすら聞こえる声音だった。この状況を楽しんでいる……それは限りなく異常であり、しかし何故か当然のことのようにも思える。
 空気が淀んでいた。甘く倒錯的な血の香りが、荒らされてもなお豪奢な館の内部に浸透している。明かり取りの窓から注がれる陽の光は、あまりにそこで展開されている光景とはそぐわない。
「……どこにいるんだ……?」
 呟き、周囲を見渡した瞬間。
『見ツケタゾ……』
 泥水をかきまぜたような声が響いた。それと同時に、三本の触手が拓也を襲う。
(天井から!?)
 突如として飛来した六本の触手は、拓也のすぐ脇の虚空を貫き、美麗に磨かれたフローリングの床を破砕した。別段彼がうまく身をひねって回避したわけではない−−もとから目測を誤っていただけの話だった。そうでなければ、破砕したのは床でなく拓也の体であったことだろう。
 いまだ床に突き立った触手から遡るように、徐々に視線を上げていく−−そして拓也は、シャンデリア−−必要以上に大きいくせに光量は低いので、彼はこの照明器具があまり好きではなかった−−に巻き付くようにして、こちらをじっと見ている『GEYZER』を発見した。
 それは、夢で見た化け物そっくりだった−−外見の醜悪さも、その身にまとわりつかせた死臭も、抑えていても滲みだしてしまう巨大な狂気も、全てあの化け物に酷似していた。到底人間の美的感覚とは相容れない、生理的嫌悪感すら通り越し、生理的な恐怖すら抱かせる程に醜い化け物……それが、シャンデリアに巻き付いている赤い毛虫−−『GEYZER』という存在を語る全てであった。
 口蓋と思しき部位が変形し、男の顔を形作る。肉塊に埋もれたその顔に、拓也はどこか見覚えがある気がした−−が、どうでもいい。今問題なのは、どうやってこいつを殺し、美雪を助けるか、なのだ。
『見ツケタゾ−−三浦千秋!! ソレニ、貴様モカ−−!!』
 この世の全ての怒りと恨みを叩きつけるような叫びだった。あまりの威圧感に、拓也は無意識の内に二、三歩後ずさってしまう。
 何かに突き動かされるようにしてここまで来たが、この化け物にどうやって対抗していいのか、正直拓也には想像もつかなかった。だいたいからして、暇さえあれば日がな一日部屋で本を読み漁っているような青年風情が、こんな−−それこそ屈強の男十人が束になっても敵わないような−−凄まじい化け物相手に、丸腰で挑もうとしたこと自体が間違いだったのだ。いつ殺されても全くおかしくない状況で、拓也はそれでも美雪だけは守ろうと、彼女を背中に隠すようにして立っていた。
『オマエヲ、殺ス……!!』
 『GEYZER』の体躯が宙を舞った−−と同時に、四本の触手が拓也に迫った。空気を切り裂く重い音と共に、一撃で鉄柱すら破壊しかねない威力を持つ赤い鞭が襲いかかる。
(……っ!?)
 突然−−時間の流れがゆっくりになった気がした。全てがゆるやかに感じられる……自分の体の動き、心臓の鼓動、そして死をもたらす鞭の動きすらも。後頭部の辺りにちりちりとした痛みが生まれる。すると、周囲の映像がぼやけ−−気がつくと、触手を紙一重で回避している。
(……なんだ、今の……!?)
『ヤハリ、貴様ガ……マタ、生マレテイタトイウノカ−−!!』
 『GEYZER』が床に降り立った。拓也は美雪の腕を掴むと、一歩、また一歩と後ずさっていく−−あの触手の射程距離がどれほどのものかは知らないが、近くにいるのは利口ではないと判断したのだ。
「こんな……こんな化け物、どうやって殺せって−−」
「三浦宗二朗の方法だよ」
 美雪がぽつりと呟いた言葉を、拓也はしかし聞き逃しはしなかった。
「−−どうやったんだ、三浦宗二朗は!?」
「適合したんだよ」
 美雪は、この状況を理解していないかのような、いつもと全く変わらぬ口調で続けた。
「『GEYZER』の卵をわざと右腕に植え付けて……適合したんだよ。宗二朗は、千秋と一番近しい存在だったから−−それなりに強い適合性を持ってた。……あいつと同じ腕で、あいつを殺したんだよ−−」
 美雪の言葉が終わると同時だった。『GEYZER』が放った触手が、呻りを上げて襲いかかってくる。
 狙いは−−。
(頭!?)
 この軌道で進んでくれば、触手は全て拓也の頭をかち割るだろう。
(死ぬ?)
 それにしては現実味も緊張感もない。まるで他人事のような死の恐怖が拓也を包む。
(嘘だろ……?)
 触手が、彼のもとに辿り着く寸前−−。
「拓也ぁあぁぁっ」
 物陰から飛び出したそれが、拓也を突き飛ばした。

                ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 しばらくの間、拓也には自分を突き飛ばした人物が誰なのか、正確に認識することができなかった。
 五本の触手に体を貫かれ、その場に崩れ落ちたのは……。
「親父……!?」
 それは、秋川源三郎だった。
「た・く・や……逃げろ! 早く……逃げろ!」
 体に空いた空洞から大量の血を溢れさせながらも、彼は息子へと言葉を投げかけ続けた。
「に・げろ……おまえは、騙されて……あれは、決して……逃げ!!」
 ずぶりという、深く潜っていた草の根を引き抜くような音−−そして小雨が降っているかのような音。
 それはつまり、源三郎の体がぼろ雑巾のように引き裂かれ、血液が噴水のように噴き出す音だった。もとは彼を構成していたパーツが、ばらばらになって周囲に転がる。
 拓也の目の前に、腕が……ぽとりと、落ちた。
(親父……?)
 死んで当然、自業自得……そのはずだ。そうだ……。
「−−拓也ちゃん、おじさんの腕……どうするつもり?」
「え?」
 言われて初めて拓也は、自分が父の腕を強く抱きしめていることに気付いた。
「救急車を呼ぶんだよ……まだ、助かるかもしれないだろう……?」
 すがるような口調の彼に、美雪はほんの少し困惑した表情を浮かべた。
「もう駄目なんじゃないかな」
 わがままな子供をあやす母のそれにも似た、穏やかで優しい声。
 それが静かな館内を満たす……そして拓也は、再び時間の流れが遅くなるのを感じた。
『死・ネ……』
 スローモーションをかけたTVによくある、くぐもった声−−もとから『GEYZER』の声はそうであったのだが−−そして馬鹿の一つ覚えのように繰り出される触手。ゆっくりと迫ってくるそれは、回避などと考える必要もない程鈍重な動きを見せている。
 ほんの少し−−ほんの少し体を捻るだけで、全ての触手は空を切る……。
 拓也は目を見開いて−−。

                ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 振り下ろされた刀が、『探索者』の肉をえぐった。赤黒い粘液状のものが、宗二朗の体にふりかかる。
『傷ツケルノカ……神ノ下僕タル私ヲ、貴様如キガ……!』
「俺はおまえと同じだ」
 呟き、夜空から降り注ぐ月光すら弾き返すほどの憎悪を以て、右腕を高く掲げる。
 それは人間の腕ではなかった。
 肥大化したその腕は、暗褐色に変色してしまっている。筋肉はでたらめに収束し、はたからは太い樹の幹を無造作にこより状にしたようなものにも見える。無意味に長く伸びた爪は、宗二朗が知るどの刀より鋭い切れ味を持っている。
 −−化け物の腕だ……。
 実際に苦虫などというものがいたら、百匹はそれを噛み潰していそうな顔で、宗二朗は小さく独白した。
「千秋……」
 声に出そうとも思わなかったし、出したくなかったのかもしれない。しかしそれは現実の言葉となり、夜の森の中に溶けて消えた。
『オマエガ殺シタノダ−−』
「そうさせたのは貴様だ!!」
 右腕が凄まじい勢いで地を薙いだ。それは『探索者』の外皮を容易く貫き、さらには臓器をも引き裂いて、闇色の宙に赤い軌跡を描く。
「この腕が変化するのに、一分しかかからなかった−−」
 左手に、既に刃こぼれを起こしてなまくらに成り下がった刀を握りしめる。苦しみのたうち回る『探索者』を見下ろし、宗二朗は独白を続けた。
「俺が変化しきる前に、貴様を殺す」
 右腕が再び呻りを上げた。
 深く、静かな殺意を瞳に湛え、宗二朗は−−。

                ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 触手は拓也の腕を貫いていた−−掌から肩までを、真っ直ぐに。
『……何!?』
 『GEYZER』の顔が大きく歪む。
「三浦、宗二朗の方法……」
 無事な左腕で、突き刺さったままの触手をずるりと引き抜く。
「俺はおまえと同じになる……」
 呟きが、空気のように喉から零れた、その刹那。
 右腕が膨れ上がった。
「う−−」
 拓也の全身、隅から隅までを、体が千切れるかと思うほどの激痛が駆け抜けた。
「ああ・あ−−お、ああ……おおおおぁアァオお!!!!」
 それは、記憶が甦ったときに感じた痛みによく似ていた。燃えさかる劫火の中に突き飛ばされ、生きたまま体を焼かれているような、耐え難いまでの痛み。
 右腕が変形していくのが、ぼんやりと見える。それは先刻の、過去の記憶の中で見た三浦宗二朗の右腕と全く同じ変化を遂げていた。
『過去ヲ……マタ、アノ術ヲ用イル−−繰リ返スノカ……』
 そう言った『GEYZER』の声は、何故かひどくかすれていた。恐怖や驚嘆のためでないということは、それを聞いた者ならば誰にでも理解できたただろう。むしろそれは哀れみであったということすら容易に理解できるほどに、彼の声は落ち着き、静謐で−−疲れていた。
 唐突に、拓也は叫ぶのをやめた。そして、ゆらりとその場に立ち尽くす−−さながら幽鬼の如く。
『オマエヲ、殺ス……!』
「それは……俺の、台詞だ!!」
 拓也が右腕を振り上げた。
 『GEYZER』が触手を放つ。
 それらは交錯し、そして……。

                ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

「……終わったの?」
 美雪が優しく尋ねてくる。痛みを覚えるほどの疲労でその場に崩れ落ちながらも、拓也は「いや」と短く答えて微笑んだ。
 そうだ−−終わってない。まだ、やり残したことがある……。
 息をすることすら億劫に感じ、彼はただ荒い息を吐き続けていた。右腕がびくびくと脈動している……最後にやらなければいけないことが、まだ残っている−−いくら面倒でも、絶対やらなければいけないことが。
「美雪……親父の部屋に行って、猟銃があるから−−それを取ってきてくれ……」
 そう。『GEYZER』と適合したからには、いずれ自分もまた『GEYZER』になる。そうなってしまう前に、自らの命を断たなければいけない。
 しかしそれは、拓也一人の力では不可能だった。何故なら彼の右腕は既に『GEYZER』であり−−そうである以上、寄生している者が宿主を殺させるはずがない。
「それで、俺を、殺してくれ……」
 自分は死ななければいけないのだ−−拓也は嘆息した。そうでなければ、美雪を傷つけてしまう……『GEYZER』が全身に回る前に、命を断たなければいけない。
 右腕の脈動が激しくなった。まるで、死を免れようとする別個の生物のように。
「……早く、俺を……殺してくれ!!」
「駄目だよ」
 無慈悲な言葉が、拓也の耳を貫く。
「私は拓也ちゃんを殺さない……私が楔になるから」
 美雪が近づいてくる。拓也にはそれが恐ろしかった。今やこの右腕は完全に独立している。最も適合性の高い獲物を前にして、襲いかからないはずがないのだ。
「近寄るな、美雪!」
「駄目だよ」
 口元だけの微笑み−−例えようもなく美しい、アルカイック・スマイル。
「まだ何も終わってないから……私が終わらせてあげる」
 少女の瞳が大きく見開かれた−−拓也が絶叫する。
 全ては瞬間の出来事だった。

 『GEYZER』となった右腕が、美雪の胸を刺し貫いた。

                ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 ごめんね、拓也ちゃん……私、嘘をついてた。
 拓也ちゃんはね……三浦宗二朗じゃ、ないよ−−違うよ。本当の三浦宗二朗は、あそこで倒れている……あの『GEYZER』が、本当の三浦宗二朗なんだ。
 ごめんね……ほんとにごめんね。私、嘘をついてた……。
 三浦宗二朗は『GEYZER』を倒したけど、自分もまた『GEYZER』になった……そして、この村の村人に傷つけられ、石の中に塗り込められた。それで、ずっと待ってたんだ−−私が生まれるのを−−三浦千秋が再びこの世に生まれるのを。
 私は……ごめんね、ずっと……三浦宗二朗を、愛していたから……耐えられなかった、あの人があんなになってまで生きているのを。何とかして殺してあげたかった……だから源三郎おじさんを騙した。あそこに連れて行くだけでよかった……私はあの人を呼び覚まして、おじさんを殺して−−私達の駒にした。
 ごめんね、ごめんね……全部、拓也ちゃんを騙すためだった……そうでもしないと、拓也ちゃんは−−私と、あの人とを殺してはくれないから。
 私には、あの人を殺す力はない……適合する前に死んでしまうのが、おち。だから……拓也ちゃんを……本当の『GEYZER』を使った……。
 あの人と私は、これで死ねる……望んでいたとおり、また二人っきりになれるの。
 ごめんね−−嘘ついて、ごめんね……こんなことしか、私にはできない。『GEYZER』に私を食べさせれば、私が止めるよ−−『GEYZER』が全身に回るのを。こんなことしかできないよ−−ごめんね、ごめんね、ごめん……。
 ごめんね……拓也、ちゃん。
 ずっと……好きだったよ……。

                ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 北海道の、それこそ最北端近く、名寄盆地をやや北に行ったところに、秋沢村というつまらない村がある。観光名所も名産物も何もない、本当につまらない村だ。
 その村は、時代に取り残されたかのような、古ぼけた軒並みを並べていた。
 しかしそこは静かだった。誰もいない……誰もいないが故に、村はより古ぼけて見える。全てが風に揺られ、ただ朽ち果てるのを待っている。
 秋沢村。そこにはもう、誰もいない。何もない。
 いなければいけないはずの男も、いない。
 村は静かだった。そして、誰かが来るのを待ってもいた。


 END−−and,to be continued...

 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   あとがき
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 えー、短期集中と銘打っておきながら、第四話と第五話の間に
凄まじい間が空いてしまいました。
 まあ……ご愛敬、ってことで(笑)。
 この作品は、第二話のあとがきでも言ったように、『浅香探偵事務所』シリーズの作品を書き直したものです……が、第三話以降全然別の作品になりましたが(笑)。
 まあそんなわけで(どんなわけだ?)とりあえず、第一部終了、です。第二部の構成はさっぱり考えてません(笑)。っていうか本当にあるのか、第二部(^^;;)。
 まあ、いろんな意味で実験作だったと作者は思っています。だって本当は第一部じゃなくて、単体として存在する作品のはずだったのに、何でかしんないけどエンディングはこんなのだし、誰がどうなって何が何だったのかもーわけわかんないし……というわけで、第二部もありかなー、と(笑)。
 まあ、こんなヤツではありますが。
 『狂える者の剣』『相川健太郎の場合』等、できるならば、お付き合いの程宜しく御願い致します……。
 では。