輝いていた日々



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投稿者: hiv @ Ntk230DU02.tk2.mesh.ad.jp on 97/11/11 22:52:41

12球団の中で、唯一日本一になっていないチームがあります。
ご存じでしょうか?
近鉄バッファローズがそうです。

私ぐらいの歳の人間には、近鉄が弱いチームだという意識はありません。
子供心に西本近鉄が強いチームだということは知っていましたし、仰木監督
時のあの2年間は強烈に印象に残っています。

ですが、昔は相当弱いチームだったそうですね。
数年前、野球の記録本を見たときの私の記憶が間違っていなければ、球団
創設以来の通算勝率がもっとも低いのは広島で、次いで近鉄だったように
思います。

近鉄が一番日本一に最も近づいたのは、現実的にも実力的にも仰木監督が
率いたうちのあの2年間ではないでしょうか。

なかなか平素パ・リーグの試合を見ることはありませんが、私も例に漏れず
金田監督の抗議で4時間を過ぎたあの試合は見ていました。
そして次の年に優勝を勝ち取った試合も見ていました。
あの頃の近鉄ナインは輝いていましたね。

そしていつもブラウン管には阿波野が映っていました。

(余談になりますが、ダブルヘッダーのデーゲームで3塁を欲張って憤死した
 代走の選手は誰だったのか。
 彼の泣きそうな顔が今も印象に残っています。
 少なくとも彼は奇跡的なチームの勝利に救われたはずですが、その後どう
 しているのでしょう?)

さて、私は何を書いているのか。
実はまだ本題に入っていません。

今日新聞で、阿波野がトレードを視野に入れた交渉を行っているという記事を
読みました。

リーグ優勝を決めたあの試合、驚異の反射神経でイレギュラーバウンドを
捕球した大石もついに去り、あの頃の選手も少なくなりましたね。
もう数えるほどしかいません。
当たり前の事ですが、さみしいものです。

私はねえ、阿波野はまだまだやれると思うんです。
少なくとも去年の秋の段階では、いい球ほうっていたと思います。

巨人に来たこと自体は決して間違いではないはず。
怪我で一年は投げられなさそうな阿波野を取ってくれるチームはなかった。

しかし、今は投げられる以上、投げる場所を求めていかなくてはならないはず。
それに投げる場所はあるはず。
ためらわず求めていって欲しい。
そしてその姿を見せて欲しい。
もしその姿が、あの輝ける日々と違っていても構わないのです。