正月大戦〜おみやまいり〜(長文)



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投稿者: 天下無敵の無一文 @ ppp012.tokyo.xaxon-net.or.jp on 98/1/08 23:58:44

 元旦の空は、重くたち込めた雲でどんよりと曇っていた。

 昼より少し前の時間帯、参拝客でごったがえす商店街を行く、若い二人連れがいた。

 一人は、コートに襟巻きという冬らしい格好の男性。もう一人は薄い紫色を基調としたデザインの暖かそうな和風のいでたちの女性。

 これをお読みの方には説明の必要もないだろう。大帝国劇場のモギリ、大神一郎と、同じく帝国歌劇団花組の自他ともに認めるトップスター、神崎すみれだ。

「さすがにすごい人だなぁ。」

「ええ、やはり元旦ともなりますと、初詣に来る人が多いですわね。」

 さすがにこの人込みにはへきえきとしていたが、かくいう二人の目的も、ご多分にもれずに新年最初のお参り、初詣である。

「やっぱり、もう少し日にちをずらした方がよかったんじゃないかなぁ」

 思わず大神がぼやく。

 ここ、川崎大師は、厄よけをはじめとする数々の御利益を誇る首都圏有数の初詣のメッカであり、付近の住民はもちろん、地方からも参拝客が訪れる。元日の今日ともなれば、その混雑の度合いはほとんど殺人的ですらある。

「なにをおっしゃるの? 少尉。 やはり初詣は元旦に行くものではなくって?」

 今朝も同じ台詞を言って大神を引っ張り出したすみれだが、さすがにここまで混むとは予想していなかったようだ。ぎゅうぎゅうとおしくらまんじゅうのような状態には、いつもは強気のすみれも顔をしかめている。

 今日は新聞などでも「この冬一番の冷え込み」と報じていたが、ここだけは例外のようで、むっとする人いきれで暑いくらいだ。

「...ま、少しぐらい日にちをずらしたからって、この混み様じゃ大して変わらないか。」

 そのとおり。正月の川崎大師をナメてはいけない。

 それはともかく、二人ははぐれないようにしっかりと手をつなぎ、商店街の奥へと歩みを進めていく。

 寺に近づくにつれ、人混みの密度は加速度的に増し、もはや”歩いている”と言うより”人波に流されている”といった感じだ。自然二人も密着せざるをえない。

 背の高い大神からは、賽銭箱前の階段で、大きく「止マレ」と「ススメ」の文字が書かれた立て札を頭上に掲げ、必死で参拝客の整理をしているのが見える。

「あ、ほら、すみれくん。警官が人員整理に駆り出されているよ。」

「どこですの?...まぁ、本当ですわ。お正月からお仕事なんて、ご苦労様です事。」

 やれやれといった面持ちのすみれ。

「でも、彼等が頑張ってくれるから、俺たちも安心してお参りが出来るんだから、感謝しなくちゃね。」

「わかってますわ、少尉。あの方達がいらっしゃらなければ、あそこの階段でけが人が出てもおかしくはありませんものね。」

 それから待つこと小一時間。無事、お参りを済ませた二人は人混みを抜け、社務所のそばで一息ついた。

「お! おみくじがあるぞ!」

 数分後、にこにこしているすみれと、仏頂面で木の枝におみくじを結びつけている大神の姿があった。

「仕切り直しですわ、絵馬を書きましょう」

 昼を大分まわったころ、再び商店街を、今度は蒸気鉄道の駅の方に歩いていく二人。

 そろそろ人混みから解放される。

「いやー、すごい人だったね。びっくりしたよ。」

「まったくですわ、ずうっと立ちっぱなしでしたから、足が痛くなってしまいましたわ。」

 その性格故かあまり表に出さないが、すみれもずいぶん疲れているようだ。

 長いつきあい故か、それを見てとった大神は、近くの茶店に入ることにした。

「はーい! 名物の葛餅だよ、お待ちどうさま。」

 そう言って葛餅とお茶を運んできて、息つく間もなく次のお客に呼ばれる店のおばさん

「すごいお客さんですわ。あのおばさんも大変でしょうね。」

「かきいれ時だからね。めいっぱい張り切ってるんだろう。」

 しばしの休息と、美味しい名物を存分に堪能した二人は店を出る。

「なかなかおいしかったですわね。」

 めったに他人をほめることのないすみれも、ご満悦のようだ。

「うん。本当に美味しかった。みんなよろこぶぞ。」

 大神の手には、先程の茶店で買った葛餅の包みが下げられていた。

 蒸気鉄道の駅も、混雑を極めていた。どの列車も超満員のようだ。

「これ以上、ひとごみはごめんですわ。」

「ああ、同感だ。」

 意見は一致して、二駅分ほど歩くことにする。

 しばらく上機嫌で談笑しながら行く二人の頭上を、白いものがちらほらと舞いはじめていた。

「あら? 見てください少尉。」

 顔に落ちてきた冷たい物に気が付いたすみれが手をかざす。

「ん? ああ、雪か。」

 つられて空を見上げる大神。

 二人は、しばし無言でたたずみ、白い妖精の乱舞に見惚れる。

「きれいですわね。」

「ああ。」 

 そして、再び歩き出す。

「今日は、みんな劇場に集まっているはずだ。おみやげも買ったし。」

「新年会ですわね。年末に休みに入って、2週間ぶりくらいかしら。みなさんどうしているかしら...
 楽しみですわね、少尉。」

「ああ...なぁ、すみれくん。」

「なんですの?」

「そろそろ、『少尉』と呼ぶの、やめにしないか? もう5年もたつんだよ?」

 なんとも形容しがたい表情をうかべる大神に、すみれはふふっと、おかしそうに笑う。

「なに言ってるんですの。少尉は少尉ですわよ、それに、それを言うなら『すみれくん』も、いい加減やめてほしいですわ。」

 言って大神を軽くにらみつける。

「うーん、そうか、おあいこだな。」

 そして二人は、はじけたように笑い出した。

 太正20年元旦
   風に揺れる絵馬には、「安産祈願 大神 一 郎
                      すみれ」
   と、書かれていた