実験的無ジャンル小説 『命を狩る者』



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投稿者: 柏木耕一(旧・日光) @ p23-dn01kuki.saitama.ocn.ne.jp on 97/10/10 06:47:20

 薄暗く、狭い部屋だった。コンクリートがむき出しになった壁に囲まれ、天井は低い。窓はどこにも存在せず、所在なさげに揺れている裸電球がこの部屋の唯一の光源だった。
 部屋の中央には椅子が置かれていた。古ぼけてはいるが、巧みな意匠が施された、割合高価そうな代物だ。そしてその椅子に、一人の女性が腰掛けていた。
 髪は長く、うなじのあたりでまとめてある。目は沼底に沈んだ鯰のように濁り、唇は青紫色に乾いている。全体的に生気を感じさせない女だった。その細い両腕には、白布にくるまれた赤ん坊を抱いている。
「−−『赤い星は何を望む?』」
 声は唐突に聞こえてきた。裸電球が激しく明滅を繰り返し、部屋の中を小刻みに光の帯が乱舞する。青ざめた頬を引きつらせ、女は赤ん坊を強く抱きしめた。
「『赤い星は何を望む?』」
 光と影の合間を縫うように、その声は女の耳を突き刺した。押し潰されそうな程の恐怖に身を打ち振るわせながらも、彼女は喉の奥から絞り出すような声で答える。
「−−あ、『青い星との巡り会い』−−」
 刹那。
 空間が弾けた。
 女の真正面の壁が赤く発光し、溶鉱炉で煮えたぎる鉄のようにどろどろと溶けて流れていく。強風が巻き起こり、部屋中を駆け巡る。突如として起こった怪奇現象に心を翻弄されながらも、抱きかかえた赤ん坊だけは離すまいとして、女はその両腕により一層力を込めた。
 しばらくすると風はやみ、発光もおさまっていた。溶けたはずの壁は、今までなかったはずの扉を備えて女の前に立っている。木製らしいその扉が小気味よくノックされ、獅子を象ったらしいノブがゆっくりと回転する。
 扉が開いた。
 現れたのは、年の頃十七、八の少年だった。中肉中背、今一つぱっとしない顔の、どこにでもいそうな少年だ。
「……あなたが、神岡さん?」
 少年が尋ねると、女はこくこくと頷いた。そして赤ん坊を少年の前にぐいっと差し出すと、
「この子を助けてください」
 と一言呟く。
「……あなたの願いはそれなんだね? その、死んでる子供を助けろってわけかい」
「心臓が、弱いって……医者にはそう言われた。……でも! こんなに早く死んでしまうなんて……何のために生まれたの!? 死ぬために−−苦しむために生まれたわけじゃないのに!!」
「案外そんなもんだよ」
 少年は顎に手を置いて、どこか楽しげに笑った。
「人間は死ぬために生まれてくるんだ。死ぬ瞬間、その人間が蓄積してきた『命』が弾ける。人生最大の花火を打ち上げる−−その美しさを錬磨するため、人間は生きて−−そして死ぬんだよ。
 その子はそれが早かっただけさ。別段特別というわけじゃない」
「嫌よ−−嫌、嫌!! そんなの嫌! あたしはこの子を助けたい−−あたしはどうなってもいい、この子を助けたいのよぉ!!」
 絶叫を上げる女に、少年はうるさそうにしっしっと手を振る。
「わかってるって、怒鳴らないでよ。−−その子の命を取り戻して上げる。でもね、それなりの代金は戴くよ」
「わかってる−−いくらでも払う、何でもします!」
「いい心がけだね−−僕が欲しいのはね、あなたの『命』だ」
 少年の指が、女の眉間に突きつけられた。
「いいかい? これからあなたの命が失われる時間を、僕が設定する。あなたの命は僕のものだ。好きな時に、好きなように奪うことができる……いいかい?」
「……いいわ……あたしの命でこの子が助かるのなら! 何でもいい、この子を……美月を助けて!!」
「Ya、交渉成立だ」

               ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 今思うと、あれはひょっとして夢だったのではないだろうか? 気が付くと彼女は、病院の待合室で目を腫らしていた。治療室から医者が出てきて、満面の笑みで「やりました、おたくの娘さんは助かりますよ」と告げられて−−十八年経つ。
 娘は−−美月はすっかり大きくなった。とりたてて美人というわけでもないが、気立てがよく、家庭的な少女に育った。彼女にとって娘は全てだった。
 洗濯物の匂いが心地よい。今こうしている瞬間が、まるで世界最高の至福の時のように思える。自分の近くに腰掛けて洗濯物を畳んでいる娘の姿は、いつも溌剌としていて見ていて気持ちがいい。病気一つなく、本当に元気に育ってくれた。
 そして今日、彼女が『生涯の恋人』と決めた相手がやって来る。
 どんな男性なのだろうか。自分は娘の幸せを最大限尊重するつもりだから、いちいち文句を言いはしないけど−−。
 と、その時。フォンが鳴った。
「はぁーい」
 娘は零れんばかりの笑顔を浮かべ、玄関まで小走りに走っていく。あの子があんな顔をするんだから大丈夫、相手はきっと素晴らしい人だ−−女はそう思った。
「お、お邪魔します」
 緊張した声でそう言って、一人の男が家の中に入ってきた。
「初めまして」
 そう言って、ぺこりと礼をする男。その顔は−−。

「あなたの『命』は素晴らしい成長を遂げた。正直ここまでやってくれるとは思いもしなかったよ−−代金を取り立てにきた。あなたが助け、あなたが育てた『命』……僕が愛するよ」

「ああ……ああ!」
 女は涙した……悲しみではない、歓喜の涙を。
「ど、どうしたの? お母さん、お母さんってば!」
 娘の声に涙声で反応しながら、女は、あの時の少年に感謝した。
(有り難う−−あたしの『命』を、助けてくれて−−)

 −−−終−−−

 えーっと、いっぺんこーゆー『笑うせぇるすまん』みたいな話書きたかった、それだけです(笑)。
 でもなんか僕らしくないハッピーエンドだなあ(笑)。

 でわでわ〜♪