体罰を下す際に必要なもの



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投稿者: ノック @ jyou70.kumagaya.or.jp on 97/7/09 23:24:42

In Reply to: Re: 一部に疑問あり。でも・・・ (長文&駄文失礼)

posted by 翼の死神 @ proxy.o.sic.shibaura-it.ac.jp on 97/7/09 15:09:38

> 本当にその人は罰を下す資格があるのかということです。
> 人間的に、尊敬できる人物、行動規範となりうる人物。


 ちょっと屁理屈をこねさせてもらいます。
昔一度でも極悪な事(想像におまかせします)をした人に、その資格はあるか?
昔一度でも殺人を犯した人に、その資格はあるか?
昔一度でも盗みを働いた人に、その資格はあるか?
昔一度でもウソをついた人に、その資格はあるか?
昔一度でもほんの少しの悪さ(想像におまかせします)をした人に、その資格はあるか?

この質問に対する答えに、’ある’と’ない’の両方が出現した場合、その線引きはどこか?
こう考えると、誰からも尊敬され、誰に対しても行動規範となりうる人物というのは、皆無に等しいのではないでしょうか。
・・・とすると体罰というのは、いかなる場合でも、いかなる状況でも、いかなる人物によっても’否定’となってしまいます。

しかし、時と場合によって、体罰というのは’肯定’されるものです。
大事なのは、体罰を下す者がその時何を持っているか、だと僕は思います。
思いやりを持っているか、愛があるか、もっと効率的な方法をきちんと考えたか・・・等です。

単にいらいらするから、自分の思い通りにいかないから、面白いから・・・という様な理由で、教師や親が体罰を下しているのを、誰でも1度や2度は目の当たりにした事があるでしょう。

> 人間的に、尊敬できる人物、行動規範となりうる人物。
ここを、’体罰を下す際に必要なものを持っているか’という項目に変更し
> 本当にその人は罰を下す資格があるのか。
という条件の下で、僕も体罰に賛成します。

 以上が僕の体罰に対する考え方です。