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投稿者:
架空の犬 @ 203.140.15.30 on 97/7/16 13:18:52
In Reply to: もののけ姫・感想
posted by 年貢 @ pppb853.pppp.ap.so-net.or.jp on 97/7/16 08:01:34
人間や社会への興味、世界や自然への興味
そういった基本的なものが希薄になってきている現代。
実際には存在するのに見えなくしてしまう事に対する不安を改めて認識させるために
つきつけてみせたともいえるかもしれまん。
「生きろ」っていうのは不安という存在を目立たせることによって
希薄になりつつあるそういった社会の問題全般を考えさせ
人間が本来感じていただろう「生きる事」をより明確に
見ている人間達に感じて欲しかったのではないでしょうか。
アシタカは瀕死の重傷をおいながら言います。
「そなたは美しい、生きろ」
ともすれば不幸かもしれないが、人間が社会で培った死生感や何者にもとらわれず野生の如く生きるサンに。
美しい。生きろ。と言ってみせるのです。
不安は誰にでもある。悪人にも善人にも正義も邪悪も
そういった不安を改めて認識して生きようって
結局マンガのナウシカの「生きねば」にいたるんだと思います。
#ただあの終りでは伝説の偉人みたいでむしろ今回の終りのほうが宮崎駿をかんじさせてくれました。
でここで伝えようとしてるのは現実感が希薄になりつつあるばかりか
多くの人間があえてその猥雑な空間の中でみずからの5感を騙して生きる中で
もう一度もっとものごとをつきつめて感じてみないかねと。
いずれは死ぬ。それを考えるのは悪くない、でもそこでSTOPしちゃだめだ。
いずれは死ぬ。でも運命をみすえるって事は死ぬ事ではなくて死にいたるまでの生きる事そのものだと。
目を開いて不安を糧に不安から逃れるすべはなくとも生きよう。
#逆に不安は常に人間の側がつくりだしていくようにも思えました。生きる事によって。
「人間は度し難い」やナウシカの「腐海も人間の一部」という宮崎駿の言葉は
不安や人間の駄目さもふくめて目をそらさずに生きようではないか。
というメッセージだと思ってます。希望もありますしね。
「共に生きよう」という言葉はこの先、人間が自然に対して常に意識しなかればならない問題なのだと希望として
提示されてますし。最後に森が復活する(昔の森ではないので皮肉さえ感じますが)場面がそれを後押ししてる
ようにも思えます。
#しかし現実には国が行う環境庁の仕事というのは如何に国土を削れるか一点にあるように
#思えるのでこれは本当に国では無く人しだいなのだなぁという感覚です。
#快楽主義におちいらないようにかも。
#そうか今ではひとりひとりが自分の君主でもあるのだから歴史の中に出てきた暴君暗君にはなるなって言えるかな
#社会や世界が見えなくなるような生き方は生きてる事ではない。生きるってのはこういう事なんだって映画なのかもしれん。
#「紅の豚」の「かっこいいとはこういうことさ」に重なるかな。
#しかしアシタカはかっこよかったです。アシタカのああいった不思議な呪われた力やもののけの存在は
#押井氏が昔書いた論文(1)のように「ああいったはなれ技は必然性(現実的)からかけ離れてしまい物語から説得力を
#無くしてしまう」ともいえますがアシタカやもののけがあそこまでひっぱらねばエンターテーメントとして
#観客を喜ばせられたかは疑問かな。
#ロストワールドを見て特にそう思うようになってしまった。本来ならあれはアニメーション映画が先にすべき事だったのではと。
#参考文章
(1)押井さんが昔書いた論文:風の谷のナウシカ・絵コンテ2におさめられてます。
私信:年貢さんへ
あのもののけ姫前夜のアシタカ=アスベルは無理がありました。
見てない人間の想像の産物という事にして一笑にふしてください。
#もしくは抽象的な人間と自然の存在としてかな。
では酷い文章申しわけないですが返事を書かせていただきました。
#うーんまだなんかまとまってないなぁ。もう一回見にいくかな。
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