デジタルとアナログ(超長文)



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投稿者: Kaz. @ ppp01019.akita.alles.or.jp on 97/8/19 02:14:02

In Reply to: あぁ,アクションゲーム

posted by Gallop @ ppphost4.kusm.kyoto-u.ac.jp on 97/8/19 00:14:57

> 私が持ってかえったソフトの中に「ザ・スーパー忍II」があったのですが,
> 彼は,最終面で死にまくり(この手のゲームの場合当たり前のことですが),
> ゲームオーバーになってしまいました.
> 時間がないからでしょうか.
> 僕等に忍耐が無くなったからでしょうか.

オレも同じ様な事を考えたことがあり、自分なりに出した結論が
「デジタルとアナログ」「レーサーと一般ドライバー」です。
(下で説明するので意味が分からなくても読み進めて下さい)



> 小学生のころ,たとえば初代スーパーマリオで
> 何度も何度もゲームオーバーになりながら,
> -----そうだ,僕は自力でクリアさえしてないぞ----
> それでも楽しく遊んでたと言うのに,

はい、オレも兄貴と母親に「このヘタくそ」と罵声(笑)をあびせられながら
長時間粘ってクリアしました。(特に2は泣きたくなるほどの難易度)

> 今,アクションゲームで,一発死のトラップにひっかかって死んでしまったとき,
> 諦めの入ったむかつきのほかにはほとんど感情は見当たりません.

そうですね。今「トゥーム・レイダース」の最後の最後の辺をやっていますが
まったくもってそんな感じの気持ちです。



・・・で、ここからが本題です。(ゲーム、という言葉はアクションゲームのこと
ですので、念のため)

昔のゲームという事で、ゲームウォッチやファミコン初期のゲームを
想像してみると、そのころの「ゲーム」という物は、穴をギリギリで避けたり
落ちてくる物を、かなりシビアなタイミングで受けとめたりということを
行う物が多かったと思います。(特にゲームウォッチなんてそんなのばっかり)

 そのころ「ゲーム」と呼ばれていた物は、結局タイミングが全てでした。
どのゲームもキャラクタや見せ方が違うだけで結局は「ここぞ!」という
タイミングでボタンを押したり、レバーを動かしたりする「反射神経・判断ゲーム」
だったと思います。(ゲームウォッチなんて特にそう、行っている動作は結局同じ・・・)

あるタイミングでは OK だが、それ以外は NG
ある動きは OK だが、それ以外は NG .....つまり、All or Nathing の極めて
「デジタル」的な遊びだったような気がします。



 それが、制作意図と技術という2つの点から変わってきました。
制作意図という点では、タイミングはアバウトになり、キャラクタを「動かす」楽しさが
注目され「反射神経・判断」以外に重点が置かれるようになりました。
 技術という点では、同じ事を行うにしても、より複雑な要素が絡むようになり
(プレイする上で)タイミングだけを重視する必要が無くなって来ました。

(アクションゲームに関しては制作意図の変化が大きいと思います。
 また、話はずれますがスポーツ・レースゲームは技術的な変化が顕著だと思います)

つまり、今のゲームは多少あいまいな「アナログ」的な遊びだと思います。



 さて、ゲーム自体は良いとして、自分たちがどうして変わってしまったか
という事を考える為に、現実世界に目を向けてみましょう。
 例えば、バスケットのフリースロー合戦は楽しいですね。(楽しくない、という人もいるでしょうが)
これは一見「入る」か「入らない」かの「デジタル」な遊びに見えがちですが
当然本当は、「膝のバネ」「肘の角度」「手首の返し」「狙う方向」などが
複雑に絡み合い、ある部分でミスをしても他の部分でカバーすることが出来る
極めて「アナログ」な遊びなのです。

 このように考えてみると現実世界での遊びのほとんどは「アナログ」です。
現実世界と比較すると「デジタル」なゲームが非常に陳腐に見えてしまうのです。
(もちろん、「デジタル」なゲームが陳腐に見えず、今でも非常に楽しむ人もいます)

 こうして、現実世界で感じている「アナログ感」とゲームにも進出してきた「アナログ感」の
心地よさになれると、たまに出てくる「デジタル」な部分について行けなくなります。


で、理不尽なゲームだ!

などというムカつきがおこる訳です。


 また、年令や性格によっても、好みが「デジタル」から「アナログ」に変化することは
あると思います。ここで、述べてきた「デジタル」な楽しみというのは
「極限を切り抜けた時の楽しさ」と言い換えることができ、一方「アナログ」の方は
「とにかく、上手く行ったときの楽しさ」と言い換えることが出来ます。
(アナログの「とにかく」というのは「極限ではないけど」といった感じの意味です)

「極限」を楽しむのがレーサーとすれば、「とにかく」楽しむのが一般ドライバーです。
数十センチのライン取り、一瞬のアクセルワークに楽しさを感じるレーサーもいれば
まあ、車を運転しているだけで十分楽しい一般ドライバーもいるという事です。
 レーサーまでは行かなくても「昔は飛ばしてたけど、最近は飛ばさないよなぁ」といった
変化のように楽しさの好みも刻一刻と変化していくのだと思います。

(レーサーの「極限」の切り抜け方はデジタルではなく
 極めてアナログ的です。ただ、楽しさの種類として、今分類している物では
 「デジタル」的楽しさに当てはまる、ということです)



さて、以上がオレなりに考えた結論です。もちろん、異論・反論あると思うので
どんどん書いてください。
あと、「全然意味がわかんねーよ」という人も・・・



・・・で、結局

>もしそうでないなら,「アクションゲームの楽しみ」を今後どこに求めていったらいいのでしょうか.

という答えに対する問は

自分がアクションゲームに何を求めているかを考える事が一番だと思います。
(オレの分類を使っうなら「アナログ」か「デジタル」か、はたまた
 「ただ単に動かしてるだけで楽しい」とか・・・)

その「自分が求める楽しさ」が極めて「デジタル」的な物でない限り
今のアクションゲームでも十分楽しめると思います。


・・・じゃあ、「デジタル」的だったら・・・・?
う〜ん、今後そう行ったものが大量に出てくることは少ないと思います。
シューティングにしても「覚えゲー」と称されるいわば「デジタル」的な
ものは敬遠される傾向ですし・・・

ただ、「経過」を楽しめないのは、ゲームがあふれすぎて「次にやるゲーム」なんて言う物が
控えているという事も原因だと思います。