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 投稿者:
闇夜  @ 209.gate20.tokyo.att.ne.jp on 98/2/24 23:04:48
 
泣きたいほどに冷たい風は、涙さえも飲み込んでいった。
 押し寄せる波に足を埋めながら、それでも私は佇んでいた。
 
 終わらない現実を振り切りたかった。安らぎの闇が私を呼んでいた。
 
 けれどもまるででくの棒のように、私は動けなかった。足は凍り、手はぶら下がり、視線は水平線が連れていっていた。
 
 (なにをしにきたのだろう)
 
 つぶやきが頭をよぎる。今や考えることしかできないこの身体は、ひたすら言葉を紬ぎだす。
 
 言葉は消えていくのに。残るのは空白なのに。
 
 私は抜け殻を作り出すがため、ひたすら考えていた。知識という名の枷を、記憶という名の弱さを、身体から抜くために。
 
 そうなったとき、私は波に飲まれるだろう。
 
 倒れ、連れ去られ、水平線の彼方で全てを無くす。この汚れた存在が消滅するまで。
 
 
 
 いつからだろう、海を恐れなくなったのは。
 
 泳げないはずの私が毎日のように海に行き、冷たい水と遊んでいたのは、おそらく17歳の夏。
 
 なにもかもが輝いていて、将来も友人も約束された、満ち足りた毎日だった。
 
 幸福は、続くとありがたさが消えるという。けれど、私はそんなことなく毎日を感謝していた。
 
 
 
 ・・・・・あの人を見てからだ。
 
 彼は、異邦人だった。
 
 この海沿いの小さな町に、どこからともなくやって来た。
 
 小さな町はすぐに彼のことで持ち切りになった。何故か・・・・彼が変わっていたからだ。
 
 
 私があの人と会ったのは中学校の終業式の日だった。成績表を見て鬱々としていた私は、気晴らしに文具やさんによっていた。友達はプールに行くと言って先に帰っていて、私は1人だった。
 
 店から出ると・・・彼はいた。
 
 夏の盛りだというのに、黒い帽子、黒いコート、黒いズボン、黒い靴。周りと余りにも違っていて、目を止めずにはおれなかった。
 
 友達も何人か見たと言っていた。そのまま通り過ぎればなにもされないという。
 
 そんな言葉が頭に浮かんだのに、私は・・・・
 
 
 
 「こ、こんにちは」
 
 男は、こちらを振り向くと・・・・・にっこりと微笑んだ。
 
 「やあ、こんにちは。暑いね」
 
 「ええ・・・・」
 
 私はまともに返事さえできなかった。彼の浮かべた柔らかな微笑みだけを見つめていた。あのとき確かに私は、彼に魅了された。
 
 彼はゆっくりと歩を近づけてきた。不思議と怖いとは思わなかった。
 
 「今・・・・学校帰り?」
 
 「ええ・・・・あの・・・・・」
 私はなにをしようとしているのだろう。自分でわからなかった。ただ、この人と話してみたかった。
 
 彼は私の釈然としない受け答えも全く気にしていないようだった。さらに笑みを深め、穏やかに言った。
 
 「・・なに?」
 
 「あの・・・・暑くないですか・・・」
 
 私が俯きながらそう言うと、彼はおどけた仕草で自分の服をつまんで見せた。
 
 私は、しまったと思った。そんなことを聞いてなんになると言うのだろう。思わず口から言葉が飛び出していた。
 
 「そうだね。でも気に入ってるんだ、この格好」
 
 「よく・・・似合ってます」
 
 「そうだろ?」
 
 彼は変わらぬ笑みで得意げにそう言った。私はまた、はっとしてしまった。
 
 つなぐ会話もなく私がうつむいて黙っていると、彼がぽつりと言った。
 
 「・・・ここはいい町だよ」
 
 顔を上げると、彼は海を見つめていた。目を細め、眉間にしわを寄せ、言葉とは違って苦しんでいるように見えた。
 
 「なぜ・・・ですか?」
 
 「海が、在る」
 
 「海・・・・・・」
 
 つられるようにして、海を見た。そこには凪いでいる水色の世界があった。
 
 思わず顔をしかめる。
 
 「嫌い?」
 
 彼はのぞき込むように私の顔を見た。
 
 思わず、体を引いてしまう。男の人は・・・・好きじゃない。
 
 それを感じ取ったのだろうか。彼は困ったような顔をして、身を引いた。
 
 「ごめんごめん・・・・。海、嫌いなの?」
 
 「はい・・・・」
 
 彼のそんな表情を見て、少し、悪いことをしたと思った。普段だったら絶対にわいて来ない感情だった。
 
 「海は、いいよ。全てを受け止めてくれる・・・・」
 
 「でも・・・・」
 
 言葉がまた勝手に踊りだしていた。でも、この人なら話せるかもしれない。昔の私。あの・・・・最低な私・・・。
 
 「でも、何?」
 
 「・・でも、全てを飲み込みます」
 
 「・・・そうだね・・・・」
 
 彼は、それ以上何も聞かなかった。何かあることはわかっていただろうに。
 
 今まであったどの人とも違う人だと思った。そして、一番柔らかい気持ちになれた。
 
 
 
 
  
 
 
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