『一番星に捧ぐ詩(うた)』4の3



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投稿者: さすらい @ 38.gate5.tokyo.att.ne.jp on 98/2/07 23:13:50

「おい、直! おまえ今までどこにいた?!」
 ドアが勢いよく開けられ、兄の鞭のような声が飛んできた。
 僕は事情が飲み込めず、ぽかんとした顔をして兄の方をみた。ストーブを目の前にして、三角座りで延々と考え事をしていたのだ。いきなりの叱咤の声には反応できなかった。
 その姿を見た兄は、深いため息をついた。そして、きっとこちらを見つめると、さっきよりは落ち着いた声で質問を繰り返した。
「・・だから、今までどこにいた?」
「どこって・・・ずっとここにいたよ。兄じゃない、出るなって言ったの」
「・・本当だな・・・?」
「本当もなにも・・・どうしたのさ?」
 本当に何のことだかわからなかった。でも、何かが引っかかった。賢治兄が僕に対して声を荒げることなど、滅多にないからだ。
 そんな僕の顔をまじまじと見ていた賢治兄は、やっと全身の力を抜いた。
「そうか・・・直じゃないのか。よかった。・・・・・けどそうすると誰が、何のために・・・・・」
そう言いながら兄はストーブのそばに来て、僕とちょうど向かい合うように腰を下ろした。
 ぼくがどうしたっていうんだ・・・?! 僕は急に不安に駆られて、兄に詰め寄るように話しかけた。
「ねぇ・・どうかしたの・・・?」
 兄はちらりとこっちをみると、至極不機嫌そうな顔になった。どうもこうもねぇよっ、と口の中で小さくつぶやくと、ため息を付く。それから真剣な顔になって僕を見据えた。
「・・・また人が死んだ」
 僕は一瞬自分の耳を疑った? 死んだ? 人が? 誰だ? また、ということは僕に関係することなのか? 混乱は絶頂に達していた。知り合いの優しい顔が頭の中を流れていった。パンク寸前だった。それでも、話を聞くために、僕は何とか声を絞り出した。
「どう・・・いうこと・・・・・?」
「あのな・・・・・」
 賢治兄のした話は、おおむねこんな内容だった・・・・。

* * *

 賢治は直樹の行っている高校の門をくぐった。今日は髪もセットし、コンタクトを入れている。黒いジーンズに、青いデニム、その上に短めの革ジャンを着ている。先ほどから下校途中の女子高生が立ち止まって彼の方を見ているのがわかっていたが、そんなことに構っていられなかった。ポケットには直樹の書いた封書が入っている。
 休学届けを出しにきたのだ。突発的に起きた事故だったため、無断欠席になっているだろうと考えた、賢治の案だった。そして、直樹本人が行った方がもちろんいいのだが、警察のことを考えると賢治が動くしかなかったのである。
「懐かしいな・・・」
 賢治はそうつぶやくと、肩をすくめ、足取りを速めた。
 見慣れた先生とすれ違う。頭を下げる。どうやらまだ覚えられているようだと、賢治は思った。
 それもそのはず。賢治が卒業したのはほんの2年前だし、生徒会長を3年間やり続けたという、異例の学生なのである。大会で優勝した盾も寄贈されているし、いつでも女の子の取り巻きが居た。覚えていない方がおかしいのである。

「すいません。校長先生と面会したいのですけど・・・」
 事務室の窓を開けながら、賢治はそう言った。
 変わってない。見慣れた顔がこちらを向いた。どうやら、それは彼女の方も同じだったらしく、にこにこ笑顔で歩み寄ってきた。
「あら、吉川君じゃないの。お久しぶりね。校長先生にはお電話で伝えておくから、直接いっていいと思うわ」
「わかりました、ありがとうございます」
 事務の人とは卒業文集の発注についてもめた記憶があった。あのころは面白かったな、と呟くと、賢治は階段を静かに駆け上った。
 校長室は、3階の奥にあった。在学中幾度となく叩いたその扉に、賢治はもう1度手を伸ばした。
コンコン
「どなたかね?」
 聞き慣れた声が聞こえる。心なしか、前よりも覇気がないように感じられた。賢治は大きく息を吸い込むと、柄にもなく緊張している自分に笑ってしまった。
「吉川です。3年の吉川直樹の従兄弟です」
「ああ・・・吉川君か。どうぞ、入ってくれたまえ」
「おじゃまします」
 ドアを開けて中にはいる。校長は嬉しそうに手を組んで、こちらを見ていた。
「久しぶりだねぇ。まさか、制服姿じゃない君に会えるとは思ってもいなかったよ。あ、まぁ、座ってくれ」
「失礼します」
 ソファーに腰掛ける。在学中は絶対に触れてもいけなかった。立ったまま、プランを校長とにらめっこしながら何時間でも討論した日々が、ふと思い出された。
 校長は机から立ち上がるとゆっくりとした造作でやってきて、賢治の向かいに腰をかけた。
「それで、今日は一体どういうご用件かな?」
「これを、お読み下さい」
 そう言うと、直樹から預かっていた、休学届けと書かれた封筒を取り出した。
 休学届けはいともあっさりと受理された。それは賢治がこの学校を主席で卒業した、ということも拘わっているのかもしてない。本人が持ってこない場合、すぐには承諾されないのが普通だからである。しかし、それでなくても受験期にさしかかった今は、無断欠席をする生徒が多いらしく、休学届けがあるだけで校長は嬉しいようだった。直樹は出席日数も足りており、何の問題もなく休めるということだった。
「了解したよ。直樹君に宜しく言っておいてくれ」
「はい、わかりました」
「それで、君は近頃どうしているのだね・・・・」
 理由を聞かれたらどうしようかと、悩んでいた賢治だったが、その心配はなかったようだ。校長の関心は専ら賢治自身の生活に向いていた。それに対して、愛想良く受け答えをすると、急いでいるので、と言って校長室を辞した。直樹から目を離してはいられなかったのだ。

 校門をくぐり抜け、駅へと急ぐ。日は殆ど暮れかかっており、空は濃紺に近づいていた。
「大分遅くなっちまったな・・・」
 家で特にすることもなく待っている直樹のことを考えると、自然と早足になった。彼を長時間ほっておくのは、今はまだ良くないだろうと考えていた。
 駅に近づくと、会社員などが増えてくる。部活帰りだと思われる高校生もちらほら見かけられた。
「・・・・ん?」
 駅の入り口の方が騒がしい。混雑、と言うレベルじゃなく人が集まっている。しかも、何かを遠巻きにして見ているようだった。
 あまりの異様さが気になって、賢治はその人だかりの方へと歩いていった。
「ちょっとすいませーん・・・・」
 人の輪をくぐり抜けて、賢治が輪の中に入っていくと・・・・そこには女が倒れていた。
 顔は苦しみに引きゆがみ、口が酸素を求めるように広がっている。階段から転げ落ちたのだろう、所々服に血をにじませながらも、綺麗なくの字で固まっていた。脱げ落ちたハイヒールが周囲に散らばっている。肌は蒼白く変色してきていた。ロングヘアーのなかなかの美人である。年は賢治と同じくらいだろうか。化粧がそのまま死に化粧に見えるところが痛ましかった。
「・・・・脳しんとうか・・・?」
 賢治はもっとよく見ようと、足を一歩踏み出した。が、整理員に押しとどめられた。
 女の側には警察らしき男が数人動き回っている。賢治は、近づくのをあきらめて、そちらの話しに耳を傾けることにした。
「死者は金子・・・・・。・・・・高校の3年・組の教生・・・・」
「・・・・・農薬・・・・。・・・・・1時間前・・・・」
 賢治は理解しがたい、というように首を振って、その場を離れた。
 高校は直樹の高校である。しかも、直樹のクラスの教生だったという。偶然と言い切るにはあまりにも出来過ぎた事件だった。しかも他殺だ。
「そうだ・・直樹・・・」
 賢治は自分が直樹を家に残してきたことに思い当たった。鍵こそ持たせていないが、部屋を抜け出てここまで来る時間は充分にあった。毒物も気に掛かる。直樹は確か科学部にいて、農薬の調合・成分分析などをしているはずである。
「まさか・・・・」
 賢治は自分の頭の中に浮かんできた考えを、強く否定した。しかし、可能性がないとは言い切れなかった。とにかく真相を確かめるため、直樹が居るはずである部屋に賢治は急いで帰った。

* * *

 僕は、しばらく口がきけなかった。また、人が殺された。しかも、自分の知人である。いったい何の関わりでこんな事に巻き込まれているのだろうか。そう思うと、落とした顔をなかなか上げられなかった。
 いきなり両肩を掴まれた。弾みで起きあがった視線の先に、賢治兄の恐ろしいほど真剣な顔があった。
「本当に・・・・おまえじゃないんだな?」
「本当だよ・・・・。そう・・・金子先生が・・・・谷田の奴、悲しむだろうな・・・」
 僕のちょっとしたつぶやきを、賢治兄は聞き逃さなかった。
「谷田? 誰だそいつ」
「クラスメイトでさ、金子先生にぞっこんだったんだよ。僕なんかは細かいし、狙って当てるし、あの先生あんまり好きじゃなかったけど」
 それを聞いた兄は、口に手を当てたなにやらブツブツとしばらく呟いていた。僕のクラスメイトの名前を、頭の中にインプットしたようだった。きっと何かの役に立つと判断したのだろう。それから僕の方に向き直ると、きっぱりとこう言った。
「いいか、今みたいな感情は誰にも話すな。どうせ、おまえに嫌疑が掛かってくるに決まってる。本当にやってないのだったら、自分の不利になるようなことは聞かれるまで話すな」
「わかったよ・・・」
 僕は真剣に頷いた。そうするしかないだろう。僕は2人の被害者に関係があり、今でも嫌疑者のうちの1人なのだから。
 これからどうするかを話そうとしたとき、玄関のチャイムが鳴った。
「・・早いな・・・」
「え・・・まさか・・・・」
 兄は眉をひそめると、立ち上がった。僕に動くなと目配せをしながら、ゆっくりと玄関を開ける。
 視界の片隅に、コートを着た立川さんが見えた。手には警察手帳を掲げている。
 賢治兄は普通に対応することに決めたようだ。ここら辺のカンといい、瞬間的な判断力といい、兄は何でも兼ね揃えている。改めて、凄い人だと思った。
「どちら様でしょうか」
「立川というものだ。こちらに吉川直樹君がいるね?」
 顔が少し、こちらをのぞき込む。立川さんは、最後に別れたときと変わってなかった。賢治兄のしっかりした態度に、少しばかり面食らっているようだった。
「はい、居りますが、どういうご用件でしょうか?」
「彼の知人が殺害された。それについて、任意出頭をお願いしたい」
「少々お待ち下さい」
 兄はそう言って立川さん達を中に入れずにこっちへ戻ってきた。そしてどうしたいいかわからなくなっている僕を立たせると、支度をするように言った。
「とりあえず、行って来い。俺もついて行く。心配するな。」
「・・・わかった」
 僕は、手持ちの荷物を軽くまとめると、玄関に向かった。
 立川さんに向かって頭を下げると、彼は目を細めた。
「・・君とは、あまりすぐに会いたくなかったのだけどな」
「僕もです」

 そして、僕たちはタクシーに乗せられ見慣れた道を戻ることになった。
 振り出しに戻ったようなものだ。ただ違うのは、賢治兄がいること、そして新たに人が死んだということだった。

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これで一応4は終わりです(^^;;)
あと、5,6で終わる予定なので、皆様おつきあい下さい。
感想もお待ちしております。
                       さすらい