『狂える者の剣』最終章〜過去の現出編・第三話



[ このメッセージへの返事 ] [ 返事を書く ] [ home.html ]



投稿者: 柏木耕一(旧・日光) @ ppp98e6.pppp.ap.so-net.or.jp on 98/1/27 22:00:54

 高振動の剣が、巨大な『蛙』の頭部を打ち砕いた。濡れ雑巾を床に叩きつけたような音がして、赤黒い血液が派手に噴き出す。返り血に身を赤く染めながら、それでも良平は戦い続けた。ハウンドの顎が、異形の『鷹』の爪が、彼の体を刺し貫いていく。体を駆け抜けるような激痛を怒りと殺意に転化すると、良平は剣を振るった。
 何匹殺し、何度傷つけられたのか、彼には既にわからなくなっていた。両足が石のように重い──逃げ出したくても逃げ出せないだろうと思える程に。出血量から考えていつ死んでもおかしくない程度の打撃は受けているはずだったが、何故か意識だけは明瞭としていた。
 『蛇』の体を二つに寸断し、返す刃で『蟻』の複眼を切り裂く。もとは小さな存在であったそれらは、ラス=テェロを内に取り込んだことでおよそ一〜二メートルの体躯を手に入れていた。
「キシャアアアァ!!」
「やかましいっ!」
 叫ぶ『鼠』の眉間にブラスターの熱線を突き立てると、良平は剣を大きく横薙ぎに振るった。途中障害物となった宿主達が、骨と肉が砕ける音と共に殺戮の犠牲になっていく。
 時間の感覚がなくなっていた。どれほど戦っていたのかわからない──ただ厳然とした事実は、いつまでたってもその姿を隠そうとしない。つまり、宿主達の数が一向に減っていないということだ。いくら斬り殺そうと際限なく、それらはまるで空気のような自然さで湧いて現れた。
 轟音を巻き起こし、『蟹』の鋏が良平の眼前に迫る。それを渾身の力を込めた剣の一撃で粉砕すると、彼はくるりと背後に向き直った。山のように折り重なる宿主達の間を縫うように、『鳥』(良平にはまるっきりダチョウに見えた)がひょろひょろとした足取りで、しかし異様に素早くこちらへと向かってきている。正面から見ると剣の切っ先にも似た嘴が、鋭い残像を残し──。
「──おぉぁぁあぁぉ!!!!」
 太い鉄串に似たそれが、良平の腹を貫いた。
「……化け物、め……!」
 灰色の空が鈍色に煌めく──雷光が走ると同時に、良平の剣が『鳥』の首を切り飛ばした。
「ここから先は……通さん!」
 そして、雨の勢いが強くなり──。

◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 絶句して、彼女は眼を見開いた。
 彼女がいたのは狭苦しい研究室だった。今一つ用途の掴めない資材が床に雑多に転がり、足の踏み場をなくしている。埃っぽい空気が部屋中を漂う中、彼女はゆっくりと体を起こした。
 粗末なベッドの上で首を巡らせ、部屋をじっくりと見回してみる。同室の、彼女と殆ど年の変わらぬ友人が、窓の外に目を向け驚愕に顔をひきつらせていた。何に驚愕しているのかはわからないが、彼女にはそれが突然物陰から犬に吠え立てられた人間のような驚き方だと思えた。
 寝惚けた頭を左右に何度か振り、意識を覚醒させる。ごそごそとシーツの中から這い出すと、室内用のスリッパを履き、友人のすぐ後ろに回った。
「……ルリ、ちゃん」
 ──気付いてたのかあ──何となく落胆する。日頃後ろから突然声をかけて驚かされているその仕返しが、今日やっとできると思ったのに……。
「ルリちゃん!」
 友人──村上陽子は、その表情を驚愕から恐怖へと変化させながらこちらを振り向いた。
「逃げよう……逃げよう! 駄目だよ、もうここは駄目だよ!!」
「ど、どうしたんですかぁ、陽子さん」
 肩をがくがくと揺さぶられながら、彼女──柄之木ルリは何とか声を出すことができた。舌を噛むかもという危惧もあったが、実際には噛まなかったのだからどうでもいい。
「や、宿主、が、たくさん来てる……もう駄目だよ! 逃げよう!」
 無意味に声もなく泣きながら、陽子はただ「逃げよう」だけを繰り返した。しかしルリにはどうしても納得できないことがあった。
 宿主が襲ってくる。それはわかっている。いつものことだし、これから先もずっといつものことであり続けるだろう。しかしそれを秋山良平が追い払うのもまた、いつものことではなかったか?
「陽子さん、良平様は?」
「戦ってる……戦ってるけど、もう駄目だよ! 凄い怪我してる……それに、宿主の数が、いつもみたいに数えられるようなんじゃないんだよ!? 後から後から湧いて出てる──こっちに来ないのが不思議なぐらいなんだからね!?」
 陽子の叫びは次第に大きく、そしてヒステリックになっていった。ルリはもう彼女にこれ以上何を言っても無駄だと悟ると、その体を押しのけて窓に張り付く。
 まず最初に視界に入るのは、この施設の庭だった。そしてその左右を囲むように高い壁がそそり立ち、そしてそれらはある一点──正門に向かって収束していく。
 正門には、大量の宿主がいた。様々な動物から変化したもの、最早もとが何であったか判別のつかぬもの、到底生物とは思えないような形をしたもの──それら雑多な宿主の中で、一個の赤い点が、何かじたばたと暴れている。
(赤い……赤い?)
 ルリは自分の視力の悪さを呪った。急いでベッドに駆け寄ると、枕元に置いてあった眼鏡をかけ、再び窓から外を見る。
 赤い点の正体がわかったとき──彼女の言葉は、一時的に失われた。
「……あ、──り、り……」
 血にまみれて体を赤く染めた男が、剣を振り回して宿主を斬り払い続けている。そしてその男は、見間違えようもない、良平だった。
「もう駄目だよ、あの人、絶対もたないよ……そ、それに、それに……」
「それに? それにどうしたんですか!?」
 陽子の肩を強く揺さぶる。彼女は怯えたように小さく息を呑むと、いやいやをするように首を左右に振った。
「陽子さん!!」
「わかってる! ……凄い宿主が来てるの!! わかるのよ!!」
 陽子は持明院の中でもトップクラスの探査能力者だった。その彼女が言うのだから間違いない……一体どんな存在なのか予想もつかないが、とにかく『凄い宿主』が近付いているのだろう。
「だから逃げよう、ルリちゃん。今のままならあの人だって何とかなるかもしれない。でも、駄目だよ。“あいつ”が来たら、もう駄目だよ……みんな、みんな食べられちゃうんだ!!」
 自分の肩を抱き、陽子はひたすら震えていた。探査能力のない──他の能力だって褒められたものではないが──ルリには、今近付いてきているという宿主がどれほどの力を持っているのかがわからない。ただ一つだけわかるのは、良平が危険だということだ。
(知らせなきゃ──!)
 自分の命がどうなるかなどは、全く考えなかった。とにかく良平が心配だった。
「陽子さん、みんなに知らせて、ここから逃げて下さい! それと警察に電話して、ソルジャーの出動要請を!!」
「ルリちゃんはどうするの!?」
「私は──」
 窓の外に視線を投げかける。雪崩のように襲い来る宿主相手に一歩も退かない良平が、そこにいたが──あと一秒後にでも倒れそうな雰囲気ではある。少なくとも体力はほぼゼロに近いはずだ。
「──良平様の手助け、してきます!」
 制止の声が聞こえた気がしたが、それに従うつもりは欠片ほどもなかった。窓を開け放ち外に飛び出すと、正門に向けて走っていく……。

◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 絶句して、彼女は眼を見開いた。
 彼女がいたのは狭苦しい部屋だった。埃っぽい空気が部屋中を漂う中、彼女はゆっくりと体を起こす。
 粗末なベッドの上で首を巡らせ、部屋をじっくりと見回してみる。使われていないモニターの類、多分もとはキーボードであっただろうもの、そして恐らくは機械の一部であったろう代物が、所狭しと床を埋め尽くしていた。何も知らぬ人間がこの惨状を目の当たりにしたならば、おそらくは部屋という概念を根底から覆されそうな状態ではある。
 しかし彼女にとって、それは大して意味のないことだった。ともすれば吹き出しそうになる歓喜の叫びを喉で止め、興奮にいななく体を落ち着けようとする。しかし落ち着こうとすればするほど、喜びは逆に彼女を支配していった。
 部屋の隅で眠っていた──部屋の主が言うのも何だが、よく眠れるものだと感心する──赤毛の少年も、それに気付いたようだった。こちらを見て、完全に驚愕しきった表情でこくこくと頷いている。言葉が出ないのだろう──彼女も同じだった。語彙の群は頭の中を渦巻いているが、結局渦巻いているだけで外に弾き出されるものは何もない。

 ともかく──騎士が現れたのだ。

◆ ◇ ◆ ◇ ◆
 

 それは、或いは絶望と呼ばれるものだった。

「……“ディバゥアー・レンジェリオン”……」
 力無い呟きが血臭漂う空気に吐き出され、濃厚な死の気配を内包して流れていく。急速に沈静化した宿主達が、まるで神聖な祭事を見る者のように、良平と“それ”を囲んでいる。
 それは、巨大な“口”だった。地面に穿たれた大穴にも似た、直径にして約二十メートル程の宿主。
もとがどんな存在であったかは、既に不明である。ストリート・ビーストが恐れる四匹の宿主──“砂漠の白鯨”グラムロン、“死の灰の使者”ヒュリラナス、“数多の命”ビヴィンノー、そして“貪り喰らう者=ディバゥアー”レンジェリオン──の内の一匹で、凶暴性は最も高い。レンジェリオンにとって肉眼で確認し得るあらゆる物資を捕食・吸収する性質があり、このせいで彼(なのだろう)は日増しに強大化していく。政府からも抹消指定にされている、正真正銘の化け物であった。この宿主一匹は過去に、約三十分ほどで総数十六機の戦車部隊を壊滅させたこともあるほどに危険な存在なのだ。
 突然、何の脈絡もなく大地が揺れた。水面が波打つように足下がぐらつき、良平は危うく倒れそうになるのを何とかこらえる──バランスを崩した瞬間、黄色い液体が真っ正面から襲ってくるのを紙一重でかわした。それは良平の後ろにいた宿主数匹を巻き込むと、異様な音と臭いをたてて炸裂する。高振動の剣ですら容易く切り裂くことの出来ない宿主の外郭が、いともあっさりと溶解していく。超強酸性の毒液だろうと、良平は何の望みもない予想を立てた。
「……マスターノ命令ニ従イマス。目標・秋山良平・フルデリート……」
 機械的な声だった──と言うか、機械そのものの声だった。それがレンジェリオンのものだと理解するのに数秒の時間をかけ……そして、良平は剣を構える。絶対的に勝ち目はなくても、逃げることはできない──見捨てることはできない。
 自分が、絶対に死ぬとわかっていても。

 地面が隆起した。レンジェリオンがその全身を露わにする──それは、まったく乱雑な外観を有していた。巨大な口を持つ全長二十メートルほどの蛇というのが、一番近い表現かもしれない。その下半身には無数の触手が蠢き、時折それらが手近にいた宿主を捕らえては口へと運んでいく。死ぬと消滅してしまう宿主を実質的に捕食することは不可能なのだが、どうもそんなことは無関係らしい。ただ食べるということが重要なのだろう、彼は良平には全く興味もない様子で、ただ周囲にいる化け物の数を減らしていく。宿主達もただ黙って食われていくわけではないが、抵抗したところで完全に無駄であることは誰の目にも明らかだった。
 レンジェリオンの目線が、良平の姿を捕らえた──あくまでそういう素振りを見せただけで、実際彼は目に相当する器官を有していない──そして、吠える。金切り声にも似た声音は空気を震わせる衝撃となり、良平の体を強く打ち据えた。
(音波攻撃──!?)
 音波での攻撃は、不可視な上に効果範囲が極端に広いため、回避はほぼ不可能である。周波数が高ければ高いほど強力になり──もちろん限界はあるが──最終的には、巨大な岩石ですら粉々に破砕することも可能とされている。だがそれほどまでに強力な音波攻撃を、良平は見たことがなかった。あるなら一度見てみたいと思っていた過去の自分を罵倒しつつ、彼は宙を飛んでいた。
(……くそったれめ!)
 声にならない悪態をつくと、大地に叩きつけられる瞬間に受け身をとる。さらに反動を利用して立ち上がると、ブラスターから熱線を撃った。じゃっ──という音が実際にしたわけではないが、赤い光線が空を裂く気配はそんな感じだ。それはレンジェリオンに命中すると、皮膚の一部を溶かして体内に潜り込んでいき、貫通する──はずだった。
「……対熱攻撃・レジスト成功。外装甲強度耐熱値ヲ62%ニ上昇シマス」
 良平はとにかく、もう生きる望みを捨てる努力だけは怠るまいと、いるはずもない神に誓った。

 続く

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 誰か覚えているんでしょーか(笑)。みんな忘れてる気がします。ちなみにボクもちょっと忘れ気味でした(笑)。

 ま、最終章が本編級の長さになりつつあるけど、それは勘弁な(笑)。まだもちっと続きそうではありますが、もし覚えて読んでくれている人がいたら、お付き合いの程よろしくお願いします。