小説『一番星に捧ぐ詩(うた)』4の2



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投稿者: さすらい @ 04.gate5.tokyo.att.ne.jp on 98/1/28 23:11:58

「あの・・・金子先生、ですよね?」
「ええ、そうですけど?」
 振り返ると可愛い女の子がいた。
「あ、私、谷田といいます。先生の教えてるクラスにいる人の妹です」
「ああ、谷田君の」
 町中で’先生’と呼ばれるとなんだか嬉しい。教育自習先の学校でそう呼ばれてはいるものの、まだ大学4年だからだ。早く試験を受けて、教師になりたい。この子のように可愛い子が伸びていくのを見ていきたいのだ。
 よくよく見ると本当に可愛い子だった。真っ直ぐな黒髪を2つに分けて三つ編みしている。背も高めだし、なにより笑顔が可愛い。そこから春が生まれてくるような、そんな笑顔。こういう子を教えられたら最高なのだけど。
「ええ。実は先生とお話がしたくって」
 びっくりした。確かに可愛くて、少し一緒に話してもみたいが、初対面なのだ。面識のない人にそう言うことを言われるとめんくらってしまう。
「ええ、いいけど・・・?」
「わぁ、よかった」
 そういって少女は天使のような笑顔を浮かべた。

 私たちは近くのファーストフード店に入った。夕方なので、学校帰りの学生が多い。レジは込み合っていた。私は彼女を先に行かせると、適当にものを注文して二階席にいった。彼女は目立つのですぐ分かる。テーブルにトレイを置くと、席に着いた。
「すみません・・なんだか。こっちがお引き留めしたのに、おごってもらっちゃって・・・」
「いいのよ。年上なんだし・・・」
 こういう子におごるのは気分がいい。礼儀正しくて、お礼を言われる方が恐縮してしまうくらいだ。こんな子ばっかりだと授業も楽なのだけど。どうもうちのクラスは落ちつきがないようだ。教生だと思ってなめられちゃったかな。
「・・で、話って?」

 話の内容は、主に彼女の兄についてだった。なんと、私に憧れているという。家に帰ってきても私の話で持ちきりで、からかうとひどく怒るのだそうだ。
「兄がそれくらい思ってる人でしょ。ちょっと見てみたくなっちゃって」
 あの子はそういうと少しはにかんだ。
 まさか、こんな話とは思わなかった。ただただ、驚いてしまう。喜ぶには立場が違いすぎるし、嫌がる理由もない。でも・・・・・。
「でも・・・・ねぇ・・・」
 いまいち飲み込めないことも確かだ。
 あの子はちょっと前にお手洗いに行った。1人になると思わずつぶやいてしまう。いったい今後どう接すればいいのか、それが私にはわからなかった。戻ってきたら谷口君の性格でも聞いておこうか。なんだか、嫌な気遣いでもある。
 ・・・・手でも洗って、頭を冷やしてこよう。そう思ってお手洗いに目を向けたが、どうやら1つしかないようだ。あの子が帰ってきたら入れ替わりに行くことにした。
「ごめんなさい、お待たせしちゃって」
 すぐ後に彼女が戻ってきた。
 私は立ち上がって席を譲ると、そのまま行ってしまうことにした。
「いいのよ。私もちょっと失礼するわね」
「あ、はい」
 彼女が席に着いたのを見て、洗面所の方へと向かった。
 中には誰もいなくて、考え事をするにはちょうど良かった。冷たい水に手を当てる。ちょっとした温度の変化が、こんな時は頼りになった。
 しばらく鏡の中の自分とにらめっこをしていたが、いい考えが浮かばない。教本にはまったく書かれていない出来事なのだから。それでも、対応できない自分がなんだか悔しかった。
「・・・・どーもこーもないわね」
 そうつぶやいて気合いを入れると、私は席に戻ることにした。
 ずいぶん待たせてしまったのではないか。考え事をしていたのだから。けれど、彼女は私を前と変わらぬ笑顔で迎えてくれた。
「お待たせ」
「いえ。平気です」

 それから30分くらいだろうか。私たちはとりとめもない話をした。中学校の話、大学の話、流行ものの話・・・・。私の心中を察してくれたのか、私が戻ってきてから彼女の兄の話題が出ることはなかった。
 5時過ぎになって、彼女が鞄をまとめ始めた。
「あ・・・じゃぁ、そろそろ」
「あ、ごめんね。長話になっちゃって」
「いえ、声をかけたのはこっちですから」
「じゃぁ、途中まで送ってくわ」
 私はそういうと立ち上がろうとした。しかし、彼女は笑ってそれを止めた。
「いいんです。今日はどうもありがとうございました。さようなら」
「そう・・・? じゃあね」
 私は席に座ったまま、彼女の後ろ姿を眺めていた。綺麗な黒髪とセーラー服が揺れている。彼女の肩が段の下に消えるまで、私はじっと見つめていた。
「さて、と」
 そう言ってかけ声をかけると、残っていたコーヒーを飲み干した。冷めていたが残すのはもったいない。そして、トレイを重ねるとゴミ箱に落とした。忘れ物がないかチェックしてから、階段を下りる。堅い音がするハイヒールは、私がもうあの頃に戻れないことを見せつけているかのようだった。

 外に出ると、冷たくなった空気が気持ちよかった。空が茜色に染まっている。明日への何かを感じさせてくれる、優しい色だった。
「結構遅くなっちゃったなぁ。んっと・・」
 1つ大きくのびをすると、私は足早に帰路についた。夕食の支度、明日の準備、掃除、洗濯・・・。一人暮らしは楽じゃない。家に帰ってゆっくり疲れをとりたい。明日また、あの元気な生徒達の相手をするのである。そう思うと、大変なことなのに何故か自然に顔がほころんだ。やはり、自分には向いているのだろう。
 足早に歩くサラリーマンを追い越しながら、私は久々に爽やかな気持ちだった。あの子にあったせいだろうか。今日は何もかもが素敵に見える・・・・。
「・・・・・・・・っ!?」
 駅の階段を上り始めたときにひどく目眩がした。貧血だと思っていたが、そうではないらしい。頭痛が起こってくる。目の前がモザイクになっている。気持ち悪い。
「ああ・・・・・」
 口を押さえてバーに掴まってしゃがむ・・・・つもりだった。けれど、自分の手が、足が、言うことを聞かない。バーを掴もうとした手は、不自然にそれを撫でて流れ落ちた。足に力が入らず、ハイヒールがかたっぽ落ちていった。2,3段滑り落ちる。
 周囲の人が気遣ってくれている気配はするものの、もう何も話せなかった。気持ち悪い。吐き気がする。灰色の渦。大量の汗。喉が焼け付く。苦しい。息が出来ない!!
 ・・・・・体を支えていた最後の糸が音を立てて切れた。重力が私の体を支配する。私は薄れていく意識の中、自分の体がボールのように段を転がり落ちていくのを感じていた。
(あ・・・・・・また・・・・)
 広い地面にたどり着いたその瞬間。確かに、茜色の空を背に微笑んでいるあの子がが見えた・・・・・・。

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短いですけど、続き書けましたぁ(;;)
感想あったら戴きたいです。主人公の居ないシーンってやっぱりいいなぁ(笑)
では
                       さすらい