『狂える者の剣』最終章 過去の現出編・第二話



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投稿者: 柏木耕一(旧・日光) @ p18-dn01kuki.saitama.ocn.ne.jp on 97/11/28 21:07:47

 嫌みったらしいまでに青く抜けた空が、目の前に広がっていた。目を閉じて視界を黒で満たしても、焼き付いた青が残像を結んでいる。仕方なしに瞼を持ち上げ、否応なしに飛び込んでくる空を見上げた。周囲の赤が打ち消されればまだ役にも立つが、勿論そんなことはなく、ただ青空は青空であるだけだった。血の色も臭いも、決して紛れはしない。
 首をごろりと横に転がす。そしてまず視界に入ったのは、たった三十分ほど前までは仲間だった者の下半身だった。黄色い死亡と赤黒い血液にまみれた、最早死体と呼ぶことすら適切でないように思える、無惨な肉の塊。
「光一……」
 −−だったのだろうか、この死体は。ひょっとしたら大介かもしれないし、行人か、美和なのかもしれない。だが何にしろ確かなことが一つある。それは、その死体が、自分−−秋山良平でないということだ。自分は死んでいない……その証拠に体中が痛い。何の根拠もないが、幽霊は痛みを感じないだろう。でなければ、ビルから投身自殺した人間の幽霊などは、激痛で苦しむあまり生者を驚かす暇もないはずだ。
 もっとも、ミンチ同然の物体が真夜中に悶絶しているのを見れば、どんな肝の座った人間でも驚くかもしれないが−−。
「……どうでもいいんだ、そんなことは」
 動こうとしない体を叱咤し、無理な体勢で片膝を立てる。途端、左足に鈍く響くような痛みが走った。見ると、臑(すね)が折れて骨が飛び出している。
(あの程度で折れるな、貧弱な足め)
 実際のところ、体長三メートルほどの巨大なカエルの宿主にのしかかられたのだから、折れるのは当然なのだが、それでも良平は何か納得のいかないものを感じた。仕方なくライフル銃を杖代わりに立ち上がると、改めて周囲を見渡す。
 ひどい有様だった。そこかしこに仲間の死体が転がり、とてつもない異臭を放っている。原形を留めない肉団子のような物体が、地面を赤く埋め尽くしていた。
「……全滅、か?」
「残念、生存もう一名追加だ」
 声は死体の群の中から聞こえた。巨大な犬の宿主−−一般にはハウンドと呼ばれる−−に下半身を飲み込まれた死体が、何故か笑って手を振っている。
「……行人か」
「いや、感動のご対面はいいからさ。できれば助けてくんない?」
 死体−−もとい、日高行人は、自分の体に食らいついたハウンドを呑気そうに指さした。宿主は死体を残さない……つまりこのハウンドは、まだ生きているということになる。
「待っていろ」
 動かない左足を引きずり、行人のもとへ歩み寄る。近くで見ると、行人が負った傷はかなり深いようだった。牙が腹を割き、腰から下は完全に閉じられた歯の間に隠れてしまっている。下半身を失ってはいないようだが、助かっても切断する必要はありそうだった。「あーったく、下半身なんて、人間にとっちゃ一番大事な部位なんだぜ。女の子にレンタルするならともかく、こんな犬コロにくれてやる義理はねえよ」
「野良犬に噛まれたとでも思っておけ」
「そのまんまじゃねえかよ、ちょっとはヒネれ、馬鹿たれ」
「……ところでこのライフルにはまだ一発弾が残っているんだが」
「ハイブリッドなギャグセンスだな。簡潔な文章の中にも深いエスプリが効いている」
 まったく気楽な行人を無視すると、良平はライフルを構え、ハウンドの胴体に弾丸を撃ち込んだ。着弾と同時に肉が弾け、ハウンドが一瞬震え−−そして、次第に風化していく。露わになった行人の腹部からは、コードがだらりと垂れ下がり、時折ぱちぱちと火花を散らしていた。
「ああ、下半身のパーツって高いのに」
「今回の報酬で買うんだな。……にしても、何でおまえの下半身はそんなに金がかかるんだ? 通常のパーツを使っているんじゃないのか?」
「俺様のマグナムを再現するのは至難の技だからな」
「……そうか」
 何だかもうどうでもいい気がして、良平は力無くため息をついた。

             

◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 池袋、旧サンシャインビル。今は都市の墓標と化したそこの屋上に、二つの人影があった。ぽつぽつと雨が降る中、傘もささずに佇んでいる。
「−−見つかったか?」
 人影は唐突に口を開いた。銀がかった髪を三つ編みにした、まだ年の頃十二、三の少女である。髪と同じ銀色の瞳をどこか気怠げに半眼に閉じ、もう一つの人影に問いかける。流れ落ちるように降る雫を気にしたふうもなく、ただ静かに立っているだけの人物−−赤毛をうなじのあたりで無造作にまとめた少年は、問いに答えるでもなく、ただ東京の空を眺めている。やがてそれにも飽きたのか、ちらりと肩越しに少女を見やった。
「……何を急いでいるんです?」
「見つかったか?」
 質問が交錯した。雨音がやけに空々しく響く−−廃墟の街を灰色に染め、空気にすら色を付与する雨が。
 少年は注意しなければわからないほどに軽く肩をすくめると、何もなかったかのように答える。
「美樹の所在はわかりません。神谷時子も、“騎士”も−−見つかりませんでした」
「そうか」
 少女は短くそれだけを言うと、くるりときびすを返し、濡れた床の上を滑るように歩いていく−−水をはねる音ぐらいたててもよさそうなものだが、この少女に限って言えばそんなことはあり得なかった。歩くとき、眠るとき、息を吐くとき−−少女は常に静かだった。そう、戦うときですら。
 少年は黙って街を眺めていた。彼女に対しての質問が無視されたが、はっきり言ってどうでもいい。特別知りたいわけではなかった……ただ、相手の質問をごまかすためには、こちらから質問をぶつければいいという格言に従ったまでだ。
 ふと見上げると、雨雲が空を覆っていた。一時間前の晴天からは予想もつかない天候の変化だ。最初は弱かった雨も、今は勢いを増している。
「……急がねばならない。儂らでは抗しきれぬ存在が、より強大に進化する前に。選出しなければならない……」
 少女が一体何を言わんとしているのか、すぐには理解できなかった。十秒ほど考えて気付く−−先程の少年の問いに対する、それは答えだった。
「騎士の資格を持つ者の選出が必要だ。時子の過ち、美樹の愚行、それら全てを寛容し禁ずる騎士が」
「あなた以上の力を持つ者を選出しようというのですか? “戦を推奨する者(バトルプロモーター)”冬埜霧恵(ふゆのきりえ)」
 霧恵は振り向かない。しかし少年には、彼女が一瞬皮肉げに笑ったのが見えた。
「私は脆弱だ……勘違いするな、神楽。原初たる美樹ですら、殺すことができぬ」
「彼女は特別でしょう」
 霧恵の表情が、笑いから失望へと変化する。厳しい視線を宙に投げかけると、長い時間をかけて息を吐き出し、いつもの気怠げな瞳に戻る。
「そう。彼女は特別だ。何故なら彼女は、原初なのだから。−−しかし」
 と、一端言葉を切る。ゆっくりと深呼吸をすると、それに倍する時間をかけて言葉を続ける。
「その彼女ですら、滅ぼすことはできなかったのだ……“魔王”ディス・Pは」
 霧恵は、吹き付ける風に揺られる三つ編みを、わずらわしげに押さえつけた。しかし手を離すとすぐに、髪の束は風と舞い始める。つまりは意味のない仕草だということだ。
 もっとも、彼女が何か意味のあることをしたのを見た覚えなど、神楽には一度もなかったが。
「−−“魔王”のシステムステーションを破壊すればいいのでは?」
「尋ねる神楽に、霧恵はあっさりと首を横に振った。
「無駄だ。あれは他のシステムに逃げ込むだろう。あれが停滞している今しか、チャンスはないのだ」
「……それで、騎士の選出を急いでいるのですか?」
「それも理由の一つではある」
 少女は自嘲するような呟きを洩らした。神楽は背後を振り向きもせず、ただ疑問を表情に浮かべた−−それで彼女には十分伝わるとでも言いたげに。
「……もう一つは、少し複雑な理由になる」
「どんな?」
 何とはなしに、手に填めたグローブを引っ張る。水分の染み込んだ革が、滑るような音をたてた。
 霧恵は小さくため息をついた−−音もなく。何かに退屈していたような瞳が僅かに開くと、廃ビルの一角に視線を向ける。
「時子の過ちを、おまえは知らぬな、神楽」
「神谷時子女史は、私の力を恐れていました。だから強いシールドを常に張っていた。知ることはできませんでしたよ」
「そうだな……おまえは知らぬのだ。故に、我らが真の役割を理解できぬ。全てが原初は美樹だけではないのだ。原初はただ一つだが、原初を受け継いだ者もいる。そして進化は促進された。これ以上の進化を押し止めているのは赤き苔だが、それですらあと十年ももつまい。停滞は永劫ではないのだから」
 神楽の唇が、皮肉げに吊り上がった。全く理解できない−−そして、理解しようとも思えない。
「抗する者が『変革』なのかもしれぬ−−真実は“魔王”しか持ち得ないが。それでも我らは必要なのだ……いずれ来る、真実を伝える日のために。そして真実を知るべきは我らではない。“魔王”を御するは騎士のみ−−故に真実を破壊するだろう。だからこそ、だからこそ騎士を選出しなければならないのだ」

        
◆ ◇ ◆ ◇ ◆


「あ……良平様ぁ!」
 ショートヘアの少女が、良平のもとに駆け寄ってきた。ぱたぱたと危なっかしい足取りで、どこかバランスが悪そうでもあるその少女は、凄まじい勢いで良平に抱きついてきた。彼が最初にここに来たのは十年前だが、それ以来彼女の行動パターンは全く変化していない。
 少女は白い長袖のTシャツに、同じく白いショートパンツという地味な格好をしていた。上下とも特殊な繊維で編まれていて、強い耐寒性・耐熱性を持っている。ここにいる人間は皆、とある理由から、この服装でいることが義務づけられていた−−もっとも良平はそんな義務を守っていなかったが。
「訓練は済んだか? ルリ」
「はいっ! ……良平様ぁ、お怪我をなさったって本当ですかぁ?」
 ルリは今にも泣き出しそうな表情を浮かべた。まるで怪我をしたのは自分だとでも言うように、良平の腕を掴んで離さない。
「ああ……だがまあ、大丈夫だ。今回入った金で、足をパーツと換えたからな」
「はあ〜……」
 わかったようなわからないような返事をするルリ。
(無理もない−−)
 この少女はここで生まれ、ここで育てられた。ストリート・ビーストの必需品とも言われるボディパーツを知っているはずがない。彼女は恐らく、「大丈夫だ」という言葉で何となく納得したのだろう。いい加減と言えばそれだけの話だが、だからこそ助かる場合もある。
「でも、良平様ぁ〜……最近お仕事増えてますね〜……」
 腕をしっかと掴んだまま、気遣うように言うルリ。確かに最近、宿主の襲撃が頻繁になっていた。それはつまり、この一帯には、もうここの施設以外ほとんど人間がいなくなったことを意味する。約三百人の人間を収容するここは、宿主達にとってはまさしく宝の山であろう。
「宝の山には、ガーディアンが付き物だ」
「???」
 不理解を顔に表すルリの頭を優しく撫でてやりながら、良平は微かな笑みを浮かべた。

 渋谷・旧センター街に、デパートを何個か無理に接合したような、不格好な形の施設がある。持明院と呼ばれるそこには、ある特異な能力を持った人間が集められていた。
 超能力者。ラス=テェロ発生以降、その存在が一般に認知された者達。
 宿主に抗する手段として、現日本政府−−と言っても、総勢百人程度の議会のようなものだが−−はサイ・ソルジャー計画とヘルダイバー計画の二つを議決した。そしてその前者を遂行するべくして設立されたのが、ここ持明院なのである。
 サイ・ソルジャーは現存するだけで二十六人。はっきり言ってしまえば、何の足しにもならない人数だ。政府側の要求では、せめて八十人は欲しいということだったが、通常の育成方法では三年に一人の割合でしかサイ・ソルジャーを選出することはできない。そして当然ながら、それを待っていられるような余裕はどこにもなかった。
 そこで持明院は、最も簡単で手早い方法をとった。
 訓練で優れた成績を残した十人に、ある薬物を投与するという方法である。
 サイ・ソルジャーと認定されるには、“覚醒”と呼ばれる成長段階を迎える必要がある。特定種の麻薬を投与することで、通常よりも数十倍早く“覚醒”することができるということが、実験の結果明らかになったためであった。この結果サイ・ソルジャーの数は増えたが、薬の副作用で死亡する者も多くなった−−もっとも、死亡者が出たのは厳しい訓練のためだというのが公式向けの弁明なのだが。
 ともかくここは、そういった場所だった。
 そしてそこに、彼はいた。

 雨よけにと被ったコートは、水を吸い込み重さを増していた。フードの奥から、良平はじっと正門を睨んでいる。最初は防護壁としての役目を果たしていた鉄の扉も、度重なる宿主の襲撃により完全に破壊されてしまっている。お情けで張った鉄条網が、雨に濡れてクローム色に輝いていた。
 最初にここに雇われて以来、一体いくつの襲撃を経験したのだろう−−良平は、ぼんやりとそんなことを考えていた。一回目の襲撃と二回目の襲撃の間は、かなりの期間が空いていたはずだ−−しかし今は、ほとんど一週間と間を置かないようになっている。高振動剣を握った手が、じっとりと汗ばむ。
 視界に入り込んでくる空は、怯えたような静けさを湛えて廃墟の果てまで伸びていた。暗く沈んだ雲から降る雨は、地面に落ちると水面を張り、どこかへと流れていった。どこに流れるにしろ、一度は死体の山にぶつかるだろう−−前回の戦いで死んだ、三十七人の仲間の死体に。誰もそれを片づけようとしないため、放置されたままになっていたものだ。
(いっそのこと全部流されてしまえば、いちいち片づける必要もなくて楽だろうな)
 不遜なことを考えながら、良平は黙って立ち続けている。
 裏門の方では、つい五分ほど前から銃声と爆音が響いている。それが絶えるまでは、余計な心配はしなくていい。背後から襲われる心配もなく、目の前の敵に集中できる。
「……来たか」
 高振動剣が唸るような音をたてて稼働する。
 鉄条網はいとも簡単に破られていた。そして−−無数の宿主達が、姿を現す。

◆ ◇ ◆ ◇ ◆


「……何だ、これは」
 銀甲冑の奥に隠された瞳が、怒りに燃えていた。表示されたメッセージも、良平の苛立ちを表すかのように、微かにぶれている。
「過去の再現だよ。君の頭から、直接データを引き出してる。まあ、多少は僕が見ていたデータもあるけどね」
「そんなことは聞いていない!」
 体が動かない−−この少年の“捕縛”プログラムで、こちらの動きは完全に封じられていた。
「こんなことをして、何をするつもりだと聞いているんだ!」
「過去の具現の恐ろしさを、知ってもらう」
 “対魔王”プログラムの表情が、薄氷が割れるように消えていく。そしてその後には、のっぺりとした無表情が残った。
「そして、とめてもらう。“騎士”の君でなければ、真実を破壊することはできないのだから」

 続く