ホラー(多分)短編『下水道』



[ このメッセージへの返事 ] [ 返事を書く ] [ home.html ]



投稿者: 柏木耕一(旧・日光) @ p13-dn01kuki.saitama.ocn.ne.jp on 97/10/12 09:25:41

「隣、いいですか?」
 一人の少女が声をかけてきたのは、良介が針を水中に投げ入れた、ちょうどその時のことだった。
 可愛い女の子だった。短い髪は夜の闇のような黒で、髪と同じ色の瞳は大きく見開かれている。黒いシャツの上に水色のベストを羽織り、ベージュのショートパンツという、健康的な出で立ちだ。外見だけで判断すれば、あまり場の雰囲気にはそぐわない。
「ええ、もちろん」
 良介はにこやかにそう答えた。可愛い女の子の頼みをはねつける理由などどこにもない。 彼に向けてにっこりと微笑むと、少女は組立式の椅子に座り、静かに針を水中に投げ入れた。ぽちゃんと音がして、ウキがゆっくりと立ち上がる。寄せ餌をぱらぱらと巻くと、彼女は「釣れますか?」と尋ねてきた。
「いいえ、さっぱりです」
「へえ……ひょっとすると、もう帰ろうか、とか思ってます?」
「いいえ、もう少し粘ってみようと思ってます」
 美少女が隣に座ってることだし、と心の中で付け加える。水中から針を抜き、餌をつけかえると、再び針を投げ入れる。
「……お仕事の帰りですか?」
 少女は突然変な質問をぶつけてきた。
「え? いやだなあ、違いますよ」
 言ってから苦笑いする。彼女がそう思うのも無理はない。ネクタイこそ外しているものの、良介が今身に付けているのはグレイのスーツだ。仕事帰りでむしゃくしゃしている青年が、気晴らしに釣りに来た……という考えもできなくはない。
「会社に行かない日も、こういう格好なんですよ、僕は」
「えーっ……疲れません?」
「もう慣れましたから」
 そう。この姿でいるのにも、もう慣れた。
 少女はしばらく良介の服装について何か言いたいようだったが、やがて納得したように「ふうん」と呟いた。
 それから少しの間、二人は互いに簡単な自己紹介などをし、とりとめのない会話に興じた。やがて話題が尽きると、自然彼らは黙々と釣りをするだけになった。
 良介はこういう沈黙は苦手だった。何か気まずい。なんとかして話題を作ろうと思うのだが、こんな時に限って面白い下ネタなどを考えついてしまう。少女−−三村かなめというらしい−−が退屈しているように感じる。
 元来彼は女の子と話すことが苦手なタイプだった。気の利いた台詞がぽんぽんと浮かんでくるような、そんな器用な男ではないのだ。この少女を惹きつけるようなことなど、で
きるはずが−−。
(いや……)
 たった一つだけ、あった。とびきりの話だ。
「ねえ。怖い話って好きですか?」
「え?」
 突然の質問に少女は驚いたようだったが、すぐに「はい!」と元気な返事をした。
「稲川淳二とか、そういうやつでしょ? 面白いですよね」
「そうそう、ああいうやつ。怪談って言うのかな? あれでね、滅茶苦茶怖い話があるんですよ。一回聞いただけで、夜一人で出歩くことなんて絶対できなくなっちゃうような、そんな話が」
「えーっ……言い過ぎですよ、それ」
「いやいや、ほんとですって。試してみますか?」
「ええ、いいですよ。でももし怖くなかったら、ルアー一個おごってもらいますよ」
「よーし、じゃあお話しましょう。あれは−−」

               ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ 

 あれは僕がまだ小学校五年生の頃のことです。僕と大原道明、木下洋平、高橋諒子、吉川美紀って五人のメンバーで、肝試しをしようってことになったんですよ。なんでそんな話になったのかは覚えてませんけどね、とにかく夜に一端大原の家に集まろうってことになって、連休をつかってね、大原の家に泊まり込んだんです。
 だいたい深夜の一時ぐらいだったかなあ。さあ、行こうってことで、全員外に出てね。早速肝試しを開始したんですよ。
 場所? 下水道です。その頃僕らの街には、「昔下水道に流されてしまった赤ん坊が育って、夜中に下水道の近くを歩く人間を捕まえては、地下で食べてしまう」なんて噂が流行ってましてね。子供っぽい噂だったけど、僕らは真剣に信じてた。そこで一番度胸のあった木下が、「じゃあそいつが本当にいるのかどうか、確かめてみよう」なんて言ってね。それで下水道ですよ。
 あらかじめマスクをして、下水道に入った。これがもう、臭いの臭くないのって……今まで生きてきて、あんな臭いを嗅いだのはあれっきりですよ。それほどの悪臭でした。女の子なんか泣きそうになっちゃってね、帰ろう、帰ろうって何回も言ってました。でも木下が「駄目だ」って言い張って、しかたなくついてきましたけどね。 三十分ぐらいはいたのかなあ。嗅覚が麻痺しちゃって、もう「臭い」なんて思えなくなった時でした。
 下水道の奥の方から、呻き声みたいなのが聞こえてきたんですよ。
 そりゃあもう驚きましてね。僕達全員、一瞬息を止めましたよ。呻き声はだんだんと近づいてきて……だんだん、はっきり聞こえるようになってきて……僕らはもう、がむしゃらに逃げました。ところがね、逃げられないんですよ。あっちの方が速いんです。
 そして、あいつが出てきたんです。
 どんな奴だったかって? さあ、覚えてませんね。ひょっとしたら、外見なんてなかったのかもしれない。
 とにかく、あいつが出てきたんです。
 まず最初にやられたのは高橋諒子でした。頭から、ぱっくりとやられてね。何か赤い液体が、僕の体中にかかって−−絶叫しましたよ。絶叫して、声が枯れるまで叫んで、走って逃げました。仲間に構ってる余裕なんてなかった。
 僕についてきたのは、大原と吉川の二人だけでした。木下の奴、腰抜かしちゃってね。ほんのちょっとだけ見ましたよ……あいつが、木下の腕をちぎってるのを。
がむしゃらに走って、走って、走って……ふと、あることに気づいたんです。
 僕達が入ってきたマンホールがね、見つからないんですよ。いや、そこだけじゃない、どこもマンホールにつながってないんです。逃げ道がなかったんです。
 そうこうしているうちに、あいつが追いついてきました。あいつは木下の皮をかぶってました……妊婦みたいに腹のふくれた木下は、吉川を捕まえて−−下水の中に顔を沈めて……何度も何度も、吉川の悲鳴と、水がかき混ざる音が聞こえました−−彼女を殺した。あいつは死体をしばらく弄んでいたのでしょう、僕らにはまた逃げ出す時間が与えられた。絶望的だとは思いつつも、走りましたよ。死にたくはなかった。何としてでも助かってやるって、そう思った。
 ずっと走ってたらね、なんと、マンホールに続くタラップを見つけたんですよ。その時の喜びと言ったら! 竹藪の中で一億円拾ったって、あの喜びは味わえない。そのぐらい、僕と大原は喜びました。でもね、その喜びは、次の瞬間には絶望に変わった。
 あいつが追いついてきたんです。闇の奥から、あいつの声、あいつの足音が近づいてきました。
 僕は決断を迫られた。生き残るか、それともそこで死ぬか。死にたくなかった。
 僕は迷わず、大原を蹴り飛ばしました。
 あいつの怒声が聞こえたけど、気にしてなんかいられなかった。僕はタラップを踏み、マンホールから道路へ飛び出ると、すぐさまその蓋を閉じました。何か重い物をひきずるような、そんな音が聞こえたのが最後でした。
 僕は気を失いました。 

               ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

「……怖いでしょう?」
 少女は答えなかった。釣り竿を握ったまま、良介の方を向こうともしない。
 恐れているのだ。 
「そうですよね、怖いですよね。わかってるんでしょう? あいつがいることが」
 良介はもはや、誰に話しているのかさえ不明だった。かなめは答えない……静寂を敷き詰めた水面を睨み、じぃっと黙っている。
「わかってるはずです」
良介は釣り竿を手放した。ぱしゃりと音がして、それは濁った水面に浮かぶ。
「ここがどこなのか」
「わかってるわよ」
かなめは釣り糸を引き上げた。
 獲物がかかっている。
「そう。あなたはわかっていた−−だからあなたに話した。ありがとう……」
 そう言うと、良介の姿はかき消えた。
 下水の腐った臭いが、周囲を満たしていた。
「あなたが最後だったのよ……こいつに殺された」
 糸でがんじがらめにされたそれは、じたばともがいている。それに憎しみを込めた視線を投げつけて、かなめは吐き捨てるように言った。
「人を陥れた代償は高くつくのに……馬鹿な人間」
 かなめはそれを釣り糸で切り刻むと、その場から立ち上がった。
 下水道は、いつまでも静かだった。
 そこには何もなかったかのように、濁った想いを乗せた、汚れた水を運ぶ。ただそれだけの役目を、黙々と果たしている。
下水道は、いつまでも静かだった。

                  〜終〜

 −−−−−−−−−−

 うわわわわわわわわわわ。へぼいっスー!! 昔の作品ってこんなにヘボイのカー!?