『GEYZER』 第三回



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投稿者: 柏木耕一(旧・日光) @ p22-dn01kuki.saitama.ocn.ne.jp on 97/9/25 00:16:35

「親父ーっ……おい、いないのかよ?」
 こっちだよ、と言った声は、どこか弱々しく聞こえた。
 書斎の隣、応接室から姿を現したのは、白い無地のYシャツにグレイのズボンという、名家の当主にしてはあまりに不格好な服を着た中年だった。中年といっても腹が出ているわけではないし、頭髪が薄くなっているわけでもない。顔に多少の皺が刻まれ、頭にも幾分か白いものが見えるが、気にしなければどうということもない程度のものだ。
「どうしたんだい、拓也。朝から騒がしいねえ」
村を支える二つの家の内一つ、秋川家の当主、秋川源三郎は、ただでさえ細い目をより細めて、訝るように息子の顔を見やった。拓也はやや気まずく思いながらも、
「三浦宗二朗って奴の話、知らないか?」
「三浦宗二朗? 拓也、知らないのかい?」
 父があまりにあっさりと知っているふうに言ったので、拓也は僅かに拍子抜けした。てっきり知らないものだと前提していたはずの質問だからだ。
「知らないから聞いてる」
 ぶっきらぼうに言い放つ。拓也はこの父が苦手だった。もう何年も会っていないからこその溝は深いし、何より−−生理的に好きになれない。昔から彼は父との関係をできるだけもたないようにして過ごしてきた。何故かはわからないが、父の姿は−−どこか、『狂って』いるように感じられる時が何度かあったのだ。
「有名なお伽噺だよ。まあ、私でも覚えているぐらいの話だが……そうか、今の若い者にはあまり知られていないんだったな。伝承するほどのものでもないし……」
「つまんない話なのか?」
「私はそうは思わないがね。
 時は明治、ここ北海道がまだ蝦夷地と呼ばれていた時代だ。ここ−−秋沢村は開発が遅れていてね、開拓団もこんな奥地まで来たがらなくて、全然人が集まらなかった。
 ところがある日、一人の男がこんなことを言ったんだ。
『あそこには神様がおられる』と。
 当時はまだ宗教観念が強い時代だからね。人はどんどんここに集まってきた。その神様というのは−−これは眉唾ものの話だが−−『探索者』という名を持っていたらしい。まあ開拓団が勝手にでっち上げた名前なんだろうけどね。
 ところでこの『探索者』が神様だったかどうかは置いておいて、ともかく本当にいたらしいんだな、こいつが。驚くべきことにこの男……え? 男だったのかって? いや、それはこの後できちんとわかるから、黙って聞いてなさいって。
 ともかくこの『探索者』、開拓団の願い事を次々と叶えていったり、奇妙な術を使ったりして、次第に『神様』としての地位を築いていったんだ。そしてある日、奇妙な二人組がこの村を訪れた時、悲劇が始まった。
 その二人組−−若夫婦は、どこか変だった。何が変って、あんまりに奥さんが綺麗すぎたのさ。そして夫の方も、これまた絶世の美男子だったらしい」
「典型的だな」
「まあそう言いなさんな。それでその夫婦、村人とはあまり接したがらず、山の中に小屋を建ててすんでいた。別段被害があるわけじゃないからいいかと村人も放っておいた。
 ある嵐の夜だ。村長の家に突然その男−−もう予想はついているね? この男こそが三浦宗二朗だ−−が訪れた。
『この村の神に会いたい』
 お人好しで信心深い村長は、無愛想で偏屈なこの男もついに『探索者』様の素晴らしさに気が付いたのかと、喜び勇んで彼を『探索者』のもとに連れていった。
 しかし三浦宗二朗は、これっぽちもそんなことは考えちゃあいなかったのさ。彼は復讐を誓っていたんだよ。
 その数日前、奥さんの方が子供を孕んだ。親は−−『探索者』様だったのさ」
「……寝取られて、逆恨み?」
「そういうことだね。三浦宗二朗は刀を抜くと『探索者』に斬りかかった。村長は当然驚いたろうね。それで仲介に入ったのはいいんだが、宗二朗と『探索者』の戦いに巻き込まれて死んでしまった。二人の戦いの場は次第に村の中に移っていった。村人は最初は驚いたさ。そして宗二朗を止めようとしたが、そういった人達は皆宗二朗に斬り殺されるか『探索者』に殺された。いや、『探索者』はその怪しげな術でもって、無関係な人達を沢山殺したらしいよ。そこで村人は一致団結、宗二朗と共に『探索者』を追い詰め−−ついには『探索者』を、今の秋沢神社がある場所に封じ込めた。
 さて話はここで終わらない。
 『探索者』を封じたのはいいが、村人はまだ彼を神様だと思っていたから、その祟りを恐れた。そこで村人は考えた−−全ての責任を三浦宗二朗にとらせよう、とね。戦いが終わって休んでいた彼を、村人全員がよってたかって襲いかかった。当然勝ち目なんかないよ。彼は殺され首を切り落とされ、秋沢寺のはずれ、首塚に埋められた。
 まあ、我が村の呪われた歴史、というわけだね。あまり伝承したがる人もいなかったから、拓也が知らないのも無理はないかもしれないね。私達は父や母から直接話が聞けるけど……」
 確かに、村人達にとってはあまり面白い話ではない。自分達に伝わらないのも仕方のない話だと拓也は思った。こんな話を好きこのんで伝えようとする輩の方がかえって信用ならないだろう。
「だいたいわかった。ありがとう、参考になったよ」
「ああ、どういたしまして。それにしても突然どうしたんだい? 三浦宗二朗のこと、誰かから聞いたのか?」
 −−夢で見たんだよ−−その言葉をぐっと飲み込む。
「ちょっと、ね。じゃあ」
「ああ」
 軽く手を振ると部屋を出る。
 拓也は深く溜息をつくと、廊下をふらふらとした足取りで歩き始めた。
(……三浦宗二朗……『探索者』? 一体何が……)
 刹那。
 突然襲ってきた頭痛に、拓也はその場に倒れた。
(何だ……!?)
 体が痛い。肺の中の空気が一辺に逆流してきたかのような感覚を覚え、彼はその場で悶絶した。息ができない−−涙が溢れる。焼け付くような痛みと体中を棒で打ち付けられたかのような衝撃。
(……な、ん……だ!?)
 拓也は意識が薄れていくのを感じた。
 最後に、父がこちらを冷たい目で見下ろしているのが見えたような気がした。

                ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 暗い森だった。いつ来てもそう思う……朝昼夜、いつ訪れてもここは暗い。

 「千秋……」

「は? 何かおっしゃられましたかな?」
「……いや」

 村長の不審げな視線を背中に受けながら、俺は祠の前に立った。

 「千秋……」

 苦しんで死んだ、愛しい女。腹を食い破られ、喉笛を噛み千切られ、それでも俺を気遣い、微笑みながら死んだ女。

「……出てこい」

 今……俺が仇をとってやる。

『……何ダ、人間……私ニ何カ用カ』

 醜い毛虫の妖。

「死ね」

 今俺が、殺してやる!

「三浦様、何をなさいます!」
「黙っていろ!」

 千秋……俺の全て。おまえを殺したこの化け物を、俺が……殺してやる!

 目の前で愛する者が蹂躙され、なぶられ、腹を裂かれ殺された……その罪、貴様の死で償ってもらうぞ、『GEYZER』……『探索者』!!

「死ねぇえぇっ!!」

 千秋……今、仇をとってやる……!

                ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

「珍しいね、こんなところで会うなんて」
 そう言って笑った美雪の顔は、今にも泣き出しそうな子供のそれに似ていた。

 生い茂る木々とむせかえるような緑の匂い。拓也が最初に感じたのはそれだった。次に激しい風雨の音、そしてそれらが体を叩く痛みを覚える。
 村はずれの森の中−−灰色がかった樹木は風に揺られ、今にもちぎれてしまいそうな軋みをたてている。地面を打つ水滴は大きく、落下した瞬間泥を弾く。葉の隙間から覗く空は暗く、時折電光が閃くのが見えた。
 何故こんなところに……? その疑問は美雪と−−そして自分自身に向けられていた。時期外れの嵐が荒れ狂う最中、辺鄙な森を訪れるような用件などないはずだ。しかし現に、今二人は森の中に立っている。
「何しに来たの? 拓也ちゃん」
「……さあ。気が付いたら、いつの間にか−−ここにいた。美雪は?」
「私も。傘もさすの忘れちゃってるよ」
 冷たい雫でべったりと頬に張り付いた髪の毛をかき上げ、美雪はくすくすと笑っている。
「不思議だよね。こんなところに来るなんて」
「……こんなとろ……まあ、変な場所だよな。この森も……」
「違うよ。この森には意味があるもの」
 稲妻が走り、一瞬闇を切り裂いた。次いで雷鳴が鳴り響き、静寂の帳を破る。湿った空気の中に、異様な緊張感が漂った。
 美雪は口元だけの微笑みを浮かべたまま、唇の周りの筋肉を動かそうとはしない。拓也もまた、その場の雰囲気に射すくめられてしまったのか、指一本動かすことすらできなくなっていた。
 濡れた髪から零れた雨粒が背筋を伝った。ぞくりとする寒気が拓也を襲う。
「……もう、ここにはいないよ」
 突然美雪の言った言葉は、雨の中に溶け込んでいった。拓也はそれが理解できないでいる。何が『ここにいない』のだろうか?
「……もう、ここにはいない。この首塚には、誰も−−いないよ。拓也ちゃん」
 首塚?
「誰の−−首塚、なんだ?」
 美雪の微笑みが、大きく歪む。
「三浦宗二朗の首塚だよ」
 轟音が響いた。嵐はしばらくやみそうにない。

                 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 鉄心の妻、和枝が伊藤武人の家を訪れたのは、雨も激しくなり始めた頃のことだった。
「あれ? 和枝さん、どうしたんです? こんな雨の中……」
 そこまで言ったところで、武人は初めて和枝がびしょ濡れなことに気付いた。慌てて家の中に駆け込むと、タオルを持って帰ってくる。
「一体どうしたってんです? こんなに濡れて……」
 和枝は一言も答えない。ただ虚ろな瞳が宙を彷徨っているだけだ。
 −−雨に打たれておかしくなっちまったのかな? 武人はふとそんなことを考えた。取り敢えずタオルを貸してやって、それで適当に追い返そう−−そんな算段を立てた時だった。
 突然和枝の腹が膨れ上がった。そして風船が弾けるような音と共に、それが破ける。びちゃびちゃと汚らしい音がして、肉片と血液とが武人の体にぶちまけられた。
(何だ?)
 あまりに常軌を逸したその事態に、武人の認識力は大きく低下していた。
(何だ?)
 腹を破って現れたのは、血に染まった真っ赤な体躯を持つ、巨大な毛虫の化け物のような代物だった。到底武人には知り得ないことなのだが、それは先刻、鉄心と、その妻和枝を無惨に殺害した『GEYZER』であった。
(化け物?)
 触手がうねる。太い肉の鞭はひゅんと空気を切り、武人の頭を強く打ち据えた。
「がっ!?」
 悲鳴らしい悲鳴も上げられず、壁に叩きつけられる。あまりの衝撃に脳震盪を起こしたのか、視界が正確に結ばれない。頭も激しい音を立てて揺れているような気がした。
 『GEYZER』はにたりと笑うと二本の触手を振り回した。それは武人の左腕に絡まると、凄まじい力で骨を折る。
「ぐあああ!!」
 絶叫。しかし触手は尚も腕を締め付ける。やがて肉に食い込み、黄色い脂肪と血の赤を混ぜた液体を垂らし始める腕。激痛はやがて熱さへと変わり、そして−−腕が千切れる。
「おお……」
 今度は悲鳴は上がらなかった。代わりに、下手くそな口笛のようなものが喉から洩れるだけだ。切断面はぐずぐずに崩れ、醜い肉の突起を露わにしている。ぼたぼたと零れ続ける血は留まることを知らず、急速に武人の体力を奪い去っていった。
 『GEYZER』は触手の一本を、斧のような形に変化させた。そしてそれを振り下ろす−−今度は、武人の右腕に。
 何か重い物をぶつけられたような感覚がした。次の瞬間、血煙を上げ、右腕の肘から先が飛んでいく。それはごろりと玄関に転がると、時折細かく痙攣してみせた。
「ああああああああ……」
 武人は何とか逃げようと試みたが、膝に力が入らない。さらには、自ら流した血で床は滑っており、彼は呆気なくその場に転がった。
 『GEYZER』が触手を三本、こより状にしたものを振り上げる。
 最後の一撃は、武人に知覚されることはなかった。
 赤くしなやかな棍棒は、彼の頭を砕き、脳味噌と骨と肉、血液の入り交じった物体を、床に撒き散らした。

 続く