狂える者の剣 第九話の1『美樹』



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投稿者: 柏木耕一(旧・日光) @ p17-dn01kuki.saitama.ocn.ne.jp on 97/9/16 19:55:07

「これが……」
 銀甲冑に身を包んだ騎士−−良平は、どこか陶然としたような声音でそう洩らした。彼の目の前には、正体不明の“何か”が浮遊している。赤い苔のようなものに覆われた、巨大な赤ん坊−−言葉にしてしまえば、それはつまりそのようなものであった。システム侵入直前に美樹のAIから指示があったデータボックスに存在している以上、おそらくこれが“魔王”なのだろうが、その仰々しい二つ名から窺えるような畏怖、恐怖を抱かせる程のものでもない。
「ウィルス……か? この苔は……」
 良平は、現在公式記録に残っている、約3900種のウィルスの情報を全て記憶していたが、これはそのどれにも当てはまらない気がした。“魔王”を浸食できるようなウィルスなど、一体誰に生み出すことができるだろう。可能性があるのはただ一人−−しかしその人物が“魔王”を抑えるはずがないのだが。
「美樹が“魔王”を封じるはずがない」
 “魔王”の起動を誰よりも強く願っていたのは美樹本人なのだ。その彼女が独自にウィルスを開発してまで“魔王”を封じるような理由など、良平には全く考えつかない。
「−−関係ない、か」
 美樹が何を考えていたか、“魔王”とは結局何なのか−−それらは全て、良平にとって興味のないことだった。問題は“対魔王”が奪ったというデータ類の在処であり、一体それがいくらになるか−−だ。過去の事件の真相など、必要ができてから考えればいい。
 良平は“魔王”にゆっくりと近づくと、“対魔王”がどこから“魔王”を書き換えたのか……その『囓り跡』を探るため、検索プログラムを起動した。彼の掌から、一羽の鳩が飛び立つ。鳩はしばらく部屋の中を旋回していたが、やがて急速なスピードで“魔王”に突進し−−赤い苔に飲まれて、消滅した。
「厄介だな」
 良平は忌々しげに舌打ちした。“魔王”の動きを封じ、データローバーとしてしか活動できないよう仕組んだこの苔は、同時に“魔王”を守ってもいるらしかった。
 良平は馬から降りると、攻撃プログラムを起動し、手の中に一本の長剣を創り出した。剣を強く握りしめ−−電子世界での話なのだから、必要のない動作と言えば必要はないのだが−−一気に、振り下ろす。
 銀色の軌跡が、電子世界に描かれた。

               ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

「……何言ってんの? あんた、バグってんじゃない?」
 美月は震える声でそう呟いた。ディスプレイの中で微笑む美樹は、そんな彼女の様子を心底可笑しそうに眺めやりながら、無視して話を続ける。
「武藤美樹……有史以来初めて、人為的に世界を破滅に追いやった人間でしょうね。まあ、1999年じゃなかったのが悔やまれるけど、どうでもいいことかしら?
 彼女は不老不死を目指した。永遠の憧れ、しかし到達など決してできるはずのない夢。でも彼女は実現したのよ、その夢を。
 “魔王”という、万が一実験が失敗した時の保険まで組み立てた彼女は、でももうその時には大失敗を犯していた。彼女と共にインフィニット計画を進行させていた女がいた−−その女が、実験に否定的だったのを忘れていた。それを忘れて、彼女は馬鹿なことをしたわ。失敗を恐れすぎたが故に、その責任から逃れるため、その女の記憶を−−変えてしまったんですもの。変えた……いいや、違うわね。被せた−−そう、被せたの。あらゆる記憶の一切合切を、全部。その女の意識を断ち、ストラクチャー……『外見と記憶』を被せた。
 そして、武藤美樹を構成する全てを受け継いだその女が生まれる。つまり−−その時、武藤美樹は二人になったのよ。『真の』武藤美樹と、『受け継がされた』武藤美樹の二人に。
 『真の』美樹は、スケープゴートが完成したと安心して実験を開始し−−そして、失敗した。そこで彼女は予め用意してあった“魔王”を起動しようとして−−さらに失敗した。
 ここからは皮肉な話でね。『受け継がされた』美樹は、『真の』美樹の意志を封印してしまった……『真の』美樹の記憶が被ってしまったにも関わらず、『女』は彼女自身の意志を表面化に押し出した。美樹であり、でもその意志を押さえ込んだ『女』は、美樹が何をしたのかを知った。そして『真の』美樹の計画を止めようとした。でももう遅かった−−ラス=テェロは世界中に広まってしまっていたの。
 そこで彼女は、彼女しか知らないあるシステムに目をつけた。
 それが“対魔王”システム。狂える“魔王”と“美樹”に対抗できる、唯一のシステムだった」
「……」
「“対魔王”は誰が作ったか、不思議なんでしょう? 美樹が作るはずもない、でもその『女』にそれを作れるほどの時間はない。
 でもね。作る必要なんてなかったの。“対魔王”システムは、もうその時には存在していたんだから−−」

 続く