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投稿者: 錦太郎 @ sutkmax1-ppp01.ed.kagu.sut.ac.jp on 97/9/10 23:51:35

では、人生の目的を考える上でなぜ正見(しょうけん)が大切になるのかそれを
書き込みたいと思います。

 全人類は幸せを求めていると言って、異論を唱える人はいないと思います。
どんな人も不幸になりたいと思っている人はいません。自殺する人でさえも自ら命を絶つ
ことによって幸せを望んでいるからに他なりません。

 それでは、全人類が求めている幸せはどのようなものか?それは無常のものです。
やがては風化し、必ず崩れていくものばかりです。なぜならば、それは相対の幸福
だからです。相対の幸福というのは、何かと比べそれによって幸福を感じるものです。
何か、というのは一つは他人、もう一つは過去の自分です。比べることによって初めて
幸福を感じるものですから、やがては風化せざるを得ません。必ず崩れる幸せですので、
相対の幸福では真の満足は得ることはできません。

 無常なものを無常のものとあきらかにみるのが正見です。私達が求めている幸せ
は無常のものです。これが、人生の目的(何のために生きるのか)を考える上で
非常に重要なことです。昔の言葉に「無常を感ずるは菩提心の一(はじめ)なり」
というのがあります。菩提心というのは本当の幸せを求める心です。つまり、私達
が求めているものは無常なものだと明らかにみることは、本当の幸せを求めることの
はじめである、ということです。

 先に述べてありますように、私達は幸せを求めています。当然その幸せは崩れて
欲しくない,続いて欲しいと思うはずです。崩れる幸せを求めたいと思う人は絶対に
いません。絶対に崩れない幸せを望んでいるのです。(絶対の幸福)


 私達は絶対の幸福を望んでいるわけですが、それを得るにはどうすればよいのか。
それはさきほども言いましたように、私達が求めている幸せは無常なものだとあきらか
にみる(正見)ことが重要になります。「無常を感ずるは菩提心の一」
無常を感じるのは私達が絶対の幸福を得る道を進むときに、最初に通らねばならない
ところなのです。ですから、正見が大切になるわけです。