再掲載 狂える者の剣 第六話



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投稿者: 柏木耕一(旧・日光) @ p03-dn01kuki.saitama.ocn.ne.jp on 97/8/31 17:53:43

 巨人の拳が、大地を深く貫く。腐りかけたそれは、叩きつけられる度に歪み、崩れて行くが、巨人はそれを気にした素振りも見せない。生命反応がない上に、この異様な攻撃力とタフネスを持ち合わせている……宿主以外でそんな化け物がいるとすれば、それは……。
(ヘルダイバー……遺伝子操作。−−そうか、インフィニット・ソルジャー!? だとすれば理解できる……こいつの力が!)
 良平は戦闘用プログラムが保存されているセルを取り出すと、コネクタと繋ぎ、脳内ターミナルと連結させる。プログラムが起動した瞬間、彼の脳裏に、ぱちりと火花のようなものが散った。
「……右か!」
 巨人の拳は、右から横薙ぎにするように、良平目指して、漆黒の巨木の如く迫ってきた。それを難なくかわすと、良平は、ブラスターを巨人の脇腹に打ち込む。熱線は、敵に痛みだけでなく、組織の破壊ももたらす−−巨人にも効果はある。
 巨人が僅かにひるんだその瞬間−−良平は、その懐に潜り込んでいた。
「……っ!」
 再び、火花が散り−−良平は、素早く身を捻った。その彼の脇を、肉の蛇が弾丸のように飛んでいく。巨人の腹から発射された、腐肉の弾丸だ。
「よけるんだね!? やっぱり君は“電子の騎士”だ−−!」
「無駄口は必要ない」
 良平は素っ気なく呟くと、巨人の腹にブラスターの連射を打ち込んだ。

               ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 その頃、美月とルリが何もしていなかったわけではない。彼女達は彼女達で、たいへん厄介な敵と戦っていた。
「地虫が……こんなに沢山……」
 どこか恍惚とすらとれる表情で、美月が力無く呟く。嫌になるのも無理はない。彼女達の背後では巨人のゾンビが、そして目の前には、どう少なく見積もっても二十匹程度の地虫が迫ってきているのだ。
「ルリちゃん、これ全部、あなた一人で何とかできる……?」
「多分……そんなに成長してなければ、大丈夫だとは思いますけど……」
 と、汗が頬を伝い、大地に落ちるのとほとんど同時に、一匹の地虫が彼女達目がけて襲いかかってきた。
 美月は持ってきていたアサルト・パワー・ライフルを構え、引き金を引いた。
 力場−−運動エネルギーの集束体を発射するそれは、バリアすら貫通する、対戦車用の重装備である。地虫程度が使うバリアになら効果があると良平に言われ、持ってきた物だ。
 力場弾は、バリアを貫き、地虫の頭に正確にヒットした。
「やったあ!」
 軽く飛び跳ねる−−
 そしてその次の瞬間、二匹の地虫が、彼女に飛びかかった。
(−−嘘ぉ!!)
 嘘でも何でもない、それは現実だ。
 ところが現実は、あと一歩のところで美月を非現実の世界に連れ去ることに失敗した。
「はあああっ!」
 ルリの髪の毛が、黒から紺に変化していく−−そしてそれに伴い、力が増大していくのがも傍目にもわかる。彼女は、美月に襲いかかろうとしている地虫に手を向けると、そこから『何か』を発生させた。
 その『何か』は、地虫を押し潰し、大地に埋葬した。
「超重力。バリアですら防げない、ESPの一つです」
 言って微笑むルリに、美月もまた微笑んで返す。
「借り一つ……絶対返すわよ」
「そうですね……でも、その前に……」
 と、二人は真正面を向きやって−−
「「この虫を、片づけなきゃ」」
 地下が、戦いの旗を掲げた。

               ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

或いはそれは、不運ではなかったのかもしれない。
 少なくとも彼はそう思っていた。それが不運なことだとは、どうしても思えなかったのだ。
 彼は一人、椅子に深く沈み込み、古ぼけた剣を弄んでいた。彼の後ろには、一人の女が、赤い唇を歪めて立っている。
 女は、彼の首筋に埋め込まれたコネクタにセルをはめ込むと、薄く笑った。
「……どんな気分?」
「最悪だ」
 短く答える。それ以外に感想はなかった。頭はがんがんとした痛みにとりつかれ、四肢に力が入らない。ただ聴覚だけは、異様に研ぎ澄まされていた。その部屋の唯一の装飾品である、赤い錆びに包まれて、それでもなおその役目を勤めている大時計の針の音すら、彼には巨大な音量でならされるギターの音のように思えた。
 ……馬鹿馬鹿しいことだ。全てが……。
 まったくもって馬鹿げた行為ではあった。彼は一人溜息をつくと、剣を弄ぶのをやめ、鞘にしまった。鞘がそれに呼応するかのように−−子を抱いた母のように−−一度震える。
 女は何も語らない−−口を縛ることはできないが、心を縛ることは可能だ。心を縛れば、口は閉ざされる−−つまり彼女は、それの体現者であった。彼はそんなことを考えながら、視線を落とすと、床に落ちている割れたティーカップをじっと見つめた。確か、誕生日プレゼントと言われ、誰かに貰ったものだったはずだ。その時は嬉しかったのを覚えている−−しかし、今こうして割れているそれは、あまりに滑稽にすぎる代物だった。
 剣が震えた。彼の心と繋がるそれは、何故かその震えをやめようとはしない。恐怖故の震えではないはずだ……それは無駄なものだから。恐怖しようとしまいと、現実を変えたりはできない。逃避は楽ではあるが、何物ももたらしはしないのだ。
「あなたは消えるのよ……この世界から。光学的に消えるわけじゃない……誰からも認識されず、ただあなたはあなたとして生きていくの。辛いでしょうね……」
「今までもそうだった」
 彼は再び、短く応じた。女は満足そうに頷くと、彼の首筋にセルをもう一本差し込んだ。
 刹那、彼の体が震えた。
 背中の辺りからうなじにかけて、激痛が踊り狂っている。腕は自らの意志を離れがたがたと振動し、脚は激しく大地を踏み潰す。頭はがくがくと前後に揺られ、思考体系の全てが握りつぶされていくような、絶対的なまでの恐怖が彼を包んでいた。
 何が? 何を恐怖する?
 彼は、生まれて初めて恐怖することの意味を知った。
 女は彼の挙動に、より一層頬を歪めた。
「あなた達は運命に立ち向かえなかった……宿主に選ばれたのは、誰のせいでもない、あなた達自身の責任でしょう? あれは決して私達を裏切ってはいない−−私はあれの創造主だもの。あれのことなら何でもわかるつもり−−何でも、ね。あなた達は私のことを馬鹿にするでしょうけど……」
「貴様に、そんなことを、言う、勇気のある奴は、いない」
 連文節を発音することが、今の彼にはとても困難なことのように思えた。ともかく、脳内に存在しているはずの言語中枢をフル回転させて言葉を紡ぐ。
「貴様は、いつだって、そうだった−−何かに、絶望し、何かを、諦めて続けて、きたのだろう?」
「そうね。私は常に、大きな何かを、ゆっくりゆっくりと諦めていったわ−−」
 と、突然彼女は大きく目をむいた。
「でも! 馬鹿にされるいわれはない! 私は常に求め続けていたのよ−−それをあなた達が阻止したの! あなた達は……何も知らなかったが故に、あなたのために泣いている私の姿すら見ることは出来なかったんでしょう!?」
「言い訳だ−−それは」
「そうね……その通りよ。でもこれだけは覚えておきなさい。あなたは世界に繋がれるの……無限になり、生き続けていくのよ。あなたはあなたとして生きていく−−鉄の糧を得て、無限に生きるのよ……あなたはインフィニットとなるの」
 女はそれ以上は何も言わなかった。
 彼は黙って震えていた……何も知らなかったが故に。
 彼は無知を恐怖した。

               ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
 
「……っ!」
 良平は吹き飛ばされていた。ぐんと、襟を思い切り引っ張られたような感覚と共に宙を舞う。巨人が笑ったような気がした……どうでもいいことではあるが、妙に気になることでもある。
 壁に叩きつけられる寸前、体をひねり、壁に脚を叩きつけた。放射線状に亀裂が走り、地下隔壁が脚の形に沈み込む。
「さすがは“電子の騎士”……素晴らしいね」
「そういうおまえはどうなんだ、“出来損ない”」
 瞬間−−。
 巨人が、吠えた。

               ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

  誰が僕を創り出したのか、今となってはもう知りようのない
  ことだ。知りたくもない……ことでもある。

  僕の存在が何のためにあるか……それを考え続けて、一
  体どれ程の時間が経過しただろう?

  進化はもう止められない……あいつは僕の力すら取り込
  んで成長する。

  守れないのだ−−誰にも、何も、守れはしない。

  僕が何を守れるというのだろう……?

  誰にも、何も、守れはしないのだ!

              ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 巨人の絶叫は、美月とルリの耳にも−−当然の話だが−−届いていた。
 −−が、それだけのことでもあったが。彼女達は彼女達で、それこそ絶叫したいような目に遭っていたのである。
「くたばれぇっ!」
 美月の力場銃も、いい加減弾切れが近い。最も、ここで言う弾切れとは、つまり力場を発生させるだけの余剰エネルギーが残っていない、ということだが。
 赤い力場弾が、地虫の頭を吹き飛ばした。しかしまだ、地虫の数は増え続けるばかりだ−−視認できる限りの範囲で、少なくとも二十匹はいる。
「くっそぉぉっ!」
 次々と力場弾を繰り出すが、下手な鉄砲は数撃っても当たりはしない。破壊の足跡は、見当違いの方向に飛んでいく。
「……いやぁっ!」
 ルリは、手から発生させた光の槍で地虫を貫いた。超高温のそれは、貫くと同時に、虫の体を融解させる。嫌な匂いが地下に漂うが、それを気にしていられるような場合ではなかった。
 右手から襲いくる虫に重力波を打ち込み、地下に潜った虫を運動エネルギーの奔流で叩き潰す。
 しかしそれでも、彼女が一匹虫を殺す間に、向こうは二匹は増殖している。きりがないどころの話ではない。死の覚悟が必要な頃合いだった。
「良、平、様……」
 小さく呟くルリ。勿論それで彼が来ることを期待したわけではない。そんなことができると思うほど、ルリは御都合主義者ではなかった。
 しかし結果として、物語は御都合主義的に運ぶ。
「<攻撃>プログラム起動……エネミー・フルデリート……<撃滅>を最優先する」
 どことなく電子的な音が響く。
「り……」
 ルリと美月の顔が、歓喜に彩られた。
 通路の奥から、一人の男が姿を現した。
 鼠色のコートに身を包んだ、長身の男−−秋山良平が。
「良平様ぁっ!」「良平っ!」
 叫ぶ二人に、地虫が襲いかかる−−が、良平の腕から放たれた黒い球体は、虫のバリアを貫通しその体にめり込むと、それを自己崩壊させた。
「……こっちは終わった。ヘルダイバー計画……いや、インフィニット計画の意味が、わかったぞ……」
 良平は、口元を歪めたような笑いを浮かべ、そう言った。