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投稿者:
柏木耕一(旧・日光) @ p03-dn01kuki.saitama.ocn.ne.jp on 97/8/31 17:50:45
上野−−植物系の宿主が最も大量に発生し、それ故森に閉ざされてしまった街。もっとも、第一次封印大戦の後、それを“東京に残された大自然”とか何とか称して人を集めたのだから、たいしたものと言えばたいしたものだが。
まあ、そんなことは、彼にとってはどうでもいいことではあった。
鬱蒼と茂る森の中を、一人の男が走っていた。短髪に中肉中背の、どこにでもいそうな青年だ。息は乱れ、服は汗でべったりと体に張り付いている。途中で脱げてしまったのか、右足には靴がなく、木の根や石でつけただろう傷が何ヶ所も刻まれていた。着ている服も半袖のTシャツにグリーンのショートパンツという至って無防備な格好で、せめてこれが長袖とジーンズか何かだったら、これほど木の枝をいとわしく感じることもなかったろう。もっとも、化け物に襲われて森の中を駆けずりまわる羽目になるとは誰も予測しないだろうから、彼の選択ミスとも言えないのだが。
(助けてくれ……)
彼は一心にそれだけを念じていた。彼は追われていた−−追跡者は花の化け物だった。本来花芯のあるべき場所に口腔を持つ、食人植物だ。
一体どれくらいの時間駆けてまわったのか、彼は既にわからなくなってきていた。助かりたいと思う気持ちと、助かるはずがないという絶望感が、彼の心の中でせめぎ合っていた。
−−突然視界が回転した。木の根で顔面を痛打したとき、彼は自分が転倒したのだということに気付いた。背後に異様な圧迫感と悪臭を感じる−−彼は死の恐怖を通り越し、死の覚悟すら抱いていた。
−−その瞬間だった。
突然花の化け物の叫び声が、暗緑色の木々の間に響きわたった。理由はわからない−−歓喜の叫びだろうと彼は思った。
しかし、それは違った。
どれほどその場に寝転がっていても、化け物は彼を襲おうとはしなかった。
(……どういうつもりだ?)
植物系の宿主は、最も生存本能に忠実だ−−捕らえた獲物をなぶりなどしない。ただ、栄養分を吸い取り、肉を食う。それだけが彼らにとっての食事であり、ある意味全てであった。
だから−−彼がその場で化け物の餌食にならなかったのは、何かしらの理由があってこそのことのはずである。
理由? 果たしてどんな理由があるだろうと、彼は心の中で独白していた。しかし実際には、疲労からくる眠気に耐えきれず、結局その場で昏睡してしまった。
森は静謐だった。そして平穏であり、全てが氾濫する場所でもあった。静けさは木々の葉に吸い込まれ、緑色の光を宙に放っている。
がさりと音がした。
その音の主は−−
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
森の中に建てられた、馬鹿でかい食堂。そこが、神楽から教えられた“超人”の居場所だった。実際に見てみれば、それは巨木を中に抱くような格好で建てられていて、わざわざそのためだけに店を巨大化させたのではないかと邪推したくなる造りになっている。
「……でかいわねぇ〜……」
「そうだな」
呆然とする美月を後目に、良平は早足で店に向かう。
「ちょっと、待ちなさいよ!」
美月はその彼の後を、駆け足で追う。横に並ぶとほとんど同時に、良平が店のドアを開けた。
そこで彼らを出迎えたのは、まさしく「どっ」という歓声だった。
何かを中心に、円状の人だかりができている。
「ねえねえ、あれ、超人絡みの騒ぎだよ、きっと!」
言って美月は、人をかき分けて、中心部に向かった。
(……理想はかくも崩れ易し)
何となくそんなことを小声で呟いてから、良平は彼女の後を追い、人の群の中へ入っていく。
……と、馬鹿みたいに大口を開け、立ち尽くしている美月の背中にぶつかった。
「う、そ、だ……」
口をぱくぱくさせて、ある人物を指さす美月。
そこに視線をやった良平は、“超人”の姿を見た。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「凄ぇな、ルリちゃん! あの化け物を追っ払ったんだって!?」
「相変わらずやるじゃねえか!」
「あんたとなら、凄えS・Bチームを作れるぜ!」
「ルリちゃん、ウチのチームに来ない!?」
「馬鹿、俺達が先だよ、俺達が!」
凄まじい喧噪だった−−それがたった一人の人物を中心にして
巻き起こっている。人の波をかきわけながら、良平は、昔共に戦った“超人”ゼロウェイが身分を隠しきれていないことを知った。まあ、どうせ無理だろうとは思っていたので、さしたるショックもなかったが。
しかし史上最強のエスパーという肩書きに、無条件の何かを抱いてしまっていた美月にしてみれば、それはまさしく衝撃的な出来事ではあった。
阿呆面−−まさしくこれが阿呆面の手本ですよと言わんばかりの阿呆面だった−−をさらす美月の指さした人物は、良平を見ると、ただでさえ大きい瞳をより大きく見開いて−−
「良平様ぁあぁあぁぁ〜〜〜〜〜!!!!!!」
彼に抱きついてきた。突進の直撃を受けた良平は、為す術もなく店の床に倒れ込む。状況を把握できていない美月は、さらに衝撃を受けたようで−−外見はともかく、とか思ったに違いない−−その場で完全に凍り付いてしまった。それは周囲の客も同じのようで、先程までの喧噪が嘘のようにひいてしまっている。
良平の首に、それこそ飾り物のようにぶらさがっているのは、見たところ14、5の少女だった。濃紺がかった黒髪を綺麗に肩口で揃え、ヘアバンドが唯一の装飾品であるらしい、地味な格好をしている。しかし、大きな瞳と、うっすらとした薄桃色の唇は、ある特定の趣味の人間からは大人気を博しそうな魅力を放っていた。
有り体に言ってしまえば、いわゆる美少女というやつだ。そこには史上最強という文字が与える畏怖も、エスパーという賢者めいた単語から連想される聡明さ、孤高さも何もない。はたから見れば、必要以上にのんびりした、穏やかな少女であるように思える。
しかし、この少女こそが史上最強のエスパー……“超人”であることを、良平はこの場にいる誰よりもよく知っていた。
“超人”ゼロウェイ。不老不死、その姿は変幻自在。この世界で最も強いエスパーであり、知識と知恵の守護者とまで詠われた人物。『封印の六英雄』の中でも最もメジャー、かつ、S・B(ストリート・ビースト)の羨望を受ける存在。
その本名を、柄之木ルリという。
「お久しぶりですぅうぅ〜〜〜」
「……そうだな」
頬をこすりつけてくる“超人”ゼロウェイ……ルリに、良平は全く表情を動かさず、ただ黙って頭を撫でてやった。美月は硬直状態から立ち直れていないらしい……死にかけの金魚のような振る舞いを見せる彼女に、良平はぼそりと「本物だ」とだけ言ってやる。
まあ、こんなことになるだろうとは、彼は予想していたのだ。
「今日は何の御用ですか? わたし、良平様のためなら何でもします……いいえ、させてください!」
愛情故の決意というのは、ときとして非常に厄介だが、普通はまあ便利なものだった。扱いやすいし、何よりこちらが何も言わなくとも、既に頼みを聞いてくれることを前提に話が進められる。
「実はな、ルリ」
「はいっ」
「今度、ちょっとした野暮用で、地下に潜らなきゃならなくなった。正直俺と美月の二人だけでは戦力不足だ。手助けをしてくれないか?」
……さすがに渋るか……。良平は僅かな危惧を抱いた。
しかしそれは、まったくの杞憂であった。
「手伝います! 是非一緒に行かせてください!」
二つ返事とはこのことを言うのか、ルリはともかく良平と一緒にいれるということだけで十分らしかった。地下という危険性を考慮して考えついた返答とは、到底良平にも思えない。
「……助かる」
良平は、敢えてそれだけしか言わなかった。コートのポケットから一個の換金セルを取り出すと、カウンターの奥で硬直していたマスターらしい中年に投げて渡す。
「……人材借用費だ。10万新円ある……好きに使ってくれ」
それだけ言い残すと、半無意識状態の美月の襟を掴み、ずるずると引きずって店を出ようとする。ルリは相変わらず彼にしがみついたままだったので(とてつもない握力だが)、良平がわざわざ連れて行こうとする必要はなかった。
−−一斉にブーイングが起こるほんの数秒前に、良平は、ランドカーを発進させていた。
(……次は、秋葉原の地下だ……)
ふと、過去の戦いを記憶の表層部に呼び起こす。意味のないことだ−−時間は決して逆戻りしないし、訂正もできない。
(だからこそ俺は、また魔王と関わろうとしているのかも知れないな−−あのとき会えなかった魔王と、俺は会いたがっているのかも知れない−−)
良平は、軽く頭を振った。そしてそれきり、何の記憶も浮かび上がってはこなくなった。
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