浅香探偵事務所の一日



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投稿者: 柏木耕一(旧・日光) @ p17-dn01kuki.saitama.ocn.ne.jp on 97/8/28 22:30:29

In Reply to: 第二回メッセージ文コンクール

posted by 高山 比呂 @ um1-01.tokyo.infoPepper.or.jp on 97/8/28 07:00:11

 −−浅香由良(あさかゆら)の一日は、ひどくのんべんだらりんとした始まりを迎える。
 午前十時、まっとうな社会人なら既にその日の仕事を開始している時刻に、のそのそと寝床から這いずりだしてくる。たいして長くもない髪の毛を、寝癖のままほったらかしにすると、台所までのろのろと歩いていく。サイフォンでコーヒーをいれると、予めパンがセットしてあったトースターのスイッチをONにする。その間に冷蔵庫をあさり、コンビーフの缶詰を引っぱり出すと、フライパンで軽く焦げ目を付けて皿に盛る。そしてトーストができあがると、終始無言のまま朝食をとる。
 いつも由良は、水色と白を縞にしたパジャマを着て眠る。元来童顔な彼女だが、その出で立ちは、彼女を必要以上に幼く見せる役割しか果たしていない。
 そういう由良の外見はどんなものかと言えば、鴉の濡れ羽色とも言うべき真っ黒の髪の毛をショートにして、どこか寝惚けたような大きな瞳、化粧もしていないのに桜色をした唇、十人並みには高い鼻と、全体的に童女のような印象を隠しきれていないものであった。
 ともかく彼女は、朝食をとり終えると、いかにものそのそとした歩調で玄関まで向かい、新聞と広告の類を持って自室に赴いた。ベッドの上でばさっと新聞を広げ、凄まじいスピードで読破していく。時折「うーん」と唸ったり「ほーう」と嘆息してみせたりした後、今度は赤ペンを持ってきて、ある記事に傍線をひいていく。実にその作業は遅々としていて、見ている者を確実に苛々させるものではあったが、彼女自身としてはこれでも急いでいるのであった。何せ午前十時である−−いい加減彼女の『仕事』を開始しなければならない時間だった。これは仕事の前の、定例行事のようなものなのだ。
 傍線ひきが終わると、だるそうにパジャマを脱ぎ捨て、無地の白いTシャツと半ズボンという、いかにもな軽装を身に纏う。これ以外の服もあるにはあるが、わざわざその日の気分で服装をコーディネイトするという精神的嗜好は、彼女とは全く無縁のものであるらしかった。
「ふーう」
 着替えが終わり一息つくと、洗面所で顔を洗い、寝癖を直す。そしてその足でついでに玄関を開け、「営業は終了しました」のプレートを「営業中」のものと取り替える。以上が彼女の朝の日課であった。
 それから十分ほどもしただろうか? 今時珍しい黒電話が、ジリリンとベルを鳴らした。
「はいもしもし、浅香探偵事務所ですが」
「ああ、起きてたか、名探偵嬢」
 妙に大きい、しかし決して不快ではない中年の声が、受話器越しに由良の耳に届いた。
「おはようございます、蘆山(あしやま)警視」
「おう、おはようさん。ところで朝飯はきちんと食ったんだろうな?」「はい、トーストとコーヒー、コンビーフですけど」
「いかんねえ、日本人の朝飯は白米に味噌汁だろうに。……まあいい、朝飯食ったってんなら話は早い。メシの後の軽い運動ってことで、どうだい」
「はあ……」
「今日の新聞は見たか?」
「ええ、見ましたけど」
「それに載ってる事件なんだけどよ」
「ああ、あれなら犯人は生徒会メンバーさんの誰かですよ」
「……由良さんよ、俺が一体どの事件について言ってるのか、わかってんだろうな?」
「えーっ……だって、今日の朝刊の記事で蘆山さんの管轄にありそうな事件ってこれだけじゃないですか。火事はガス洩れって結果がでてるし、企業合併の話は蘆山さんにさっぱり関係ないし」
「ま、そりゃそうだがね。で、何で犯人は神沢なんだ? あいつは生徒会長や他の生徒会の連中と一緒にいたって証言が出てんだがね」
「だから、守護殺人ですよ。被害者はあれでしょ、生徒会長さんに惚れ込んでた女子生徒……名前なんだっけ……ああそうだ、光村真希さんでしょ? で、生徒会長さんと副生徒会長さん−−斉藤裕太さんと本間美雪さん−−が付き合ってて、それに横恋慕した真希さんは、何度も美雪さんに別れるよう言っていた。
 そんなこんなで時が過ぎて、そして昨日、校舎の三階から、真希さんが突き落とされた。
 警察は当初美雪さんを重要参考人と見ていたけど、生徒会長や他の生徒会のメンバーの『二人の言い争っている声が聞こえたが、片方は真希さん、片方は知らない男だった』って証言で犯人を男だと断定した。
 でも蘆山さん、これはどう考えたってあれ、『冷気』ですよ。ムニョス博士のアンモニア臭は「わたし」にはわからない、しかしそんなはずはないのだ、そんなもんですよ。だってそうでしょう? 片方の知らない男さんを、どうして生徒会のメンバーは追っかけなかったんです? 突き落とされる時無言の人なんていやしませんよ。悲鳴でも何でもあげるでしょう。そのとき咄嗟に言い合いのあった部屋−−生徒会室の隣の部屋だったらしいですけど−−に飛び込んだんですよね、生徒会のメンバーさん達は」
「ああ、そうなってるな」
「だったら知らない男さんの顔は見えなかったにしろ、後ろ姿から、一般生徒か教師かぐらい見分けがつくでしょう。だったら『生徒』『教師』ぐらいの単語はでてきます。それを『知らない男』だなんて言うのは変でしょう。それともあれですか、この学校、生徒会室滅茶苦茶広くて、部屋を出るのに時間かかりすぎたとか、そんなのですか」
「そんな要因はないね」
「だったらやっぱりおかしいです。生徒会メンバーさん全員が、男を追わなかったことも、その後ろ姿を見ることもなかった。変ですよ。しかも……ここが重要な点なんですけどね、結局その『知らない男』がいたって話は、生徒会長その他生徒会メンバーの証言でしかないわけです。以上の論理的帰結から、生徒会メンバーさん全員が犯人−−オリエント急行ですね−−か、生徒会メンバーの一人ないしは二人か三人が共同して犯行にあたり、そして他全員はそれを隠蔽しようとしている、という結論に行き着くわけです。いい加減行きすぎた行為に出るようになった真希さんを、生徒会長やその他のメンバーが、美雪さんに変わって天罰を下す、そんなノリでしょう」
「……成る程。参考にするよ」
 それだけ言い残して、蘆山は電話を切ってしまった。結局物証も何もない推論だから、アテにすることもできないと考えたのかもしれない。しかし由良はそれでも満足だった。多分自分の推理は当たっていて、明日か明後日には事件は解決していると予測できるからだ。
 彼女は受話器を置くと、ジャンパーを羽織り、まだ肌寒い外に出た。商店街もひっそりとしたもので、ほとんど活気は見受けられない。そんな中を、由良は、古本探しに出かけたのである。

             ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 古本を六冊ほど買い込んでほくほく顔の由良は、まだ不足しているのか、別の古本屋に足を入れた。
 引き戸をあけて店内に入ると、既にいた先客が立ち読みしている本をたたむのが目に入った。中学生かそこらの少女で、たいして目立つ容貌ではないが、それを際立たせるほどの不安が彼女の顔に刻まれている。ばたばたとせわしい足音を立て、少女は店を出ていった。

             ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

「失礼します、ちょっとお話してもいいでしょうか?」
 道ばたで突然声をかけられた若菜は、びっくりして後ろを振り返った。そこにはどう見ても中学生程度にしか見えない童顔の少女が、妙に深刻ぶった顔で立っていた。
「何?」
「スズラン、綺麗ですよね」
 若菜は頭を金槌で殴られたかのようなショックを受けた。しかしそれを表面には出さず、努めて冷静な態度をとろうとする。
「何よ、あなた……」
「でもスズランは人殺しの道具じゃありませんよ」
 今度こそ若菜は、その場にへなへなと座り込んでしまいそうなほどの衝撃を受けた。
「……変なこと言わないで」
「あなたにどんな理由があるのかは知りませんけど、人殺しは人殺し、立派な重罪です。包丁を使おうと、睡眠薬を使おうと、毒を使おうと」
「何を−−」
「あなた、さっきの古本屋から出てから、駅前の金物屋でしばらく包丁を眺めて、結局買わずに出てきましたよね? それで散々迷い迷った挙げ句、薬局を尋ね、睡眠薬と胃腸薬を買った。ついでにトローチか何かも。でもあなたはすぐに薬の入った袋を取り出して見て、まるでおぞましいものを触ったかのような表情でそれを鞄の中にしまいこんでしまった。そしてその後、公園で植物毒について書かれた本を読んでから、花屋の前をうろうろとして、スズランを買った。そして三駅電車に乗って、ここに帰ってきましたね? 誰かに覚えられるのは面倒ですからね」
「……尾行してたの? あなた、探偵?」
「は、はい。そう見えますか?」
 何故か嬉しそうな由良に、若菜は冷たく「そんなことするのは探偵だけよ」と吐き捨てるように言った。由良は多少心外そうに眉をひそめたが、すぐに平生の表情に戻ると、再び言葉を続けた。
「スズランに入っているのはコンバラトキシンを代表とした植物性毒です。このコンバラトキシンは強心配糖体と呼ばれ、強心剤として使われることもありますが、多量接種すれば死ぬこともあります。あなたは不安そうに古本屋で本を読んでましたよね? あれ、『完全暗殺術』って本でしたよね? 普通女の子はそんな本読みませんよ。しかもあなたは何度となく躊躇している。あなたはひょっとして、非常にあなたに近しい人を殺そうとしていたのではありませんか?」
 若菜は呆然と、目の前の少女を見つめた。
「あなた−−誰。誰なの?」
「わたし、探偵の浅香由良って言います」
「ああ−−!」
 突然若菜は悟った。見出したのだ。
「あなたが、あの……有名な、名探偵、浅香由良−−」
「そんなに有名でもないですけどね」
 若菜は両手で顔を覆うと、静かにすすり泣きを始めた。幸いにして夕方の、さびれた街の通りでは、人は数えるほどもいない。
「……だって、だって……あいつが悪いの! 私の大事な先輩を奪っておいて−−そのくせ先輩の陰口を叩いているのよ! やれ顔がいまいちだの、話題がないだの……私から奪っておいて−−許せない!」
「……短絡的思考はいけません。あなたはまだ若いんですから。殺人は結局、何の解決にもなりはしないのです」
「ああ……ああ」
 一息溜息をもらすと、若菜は由良にしがみついてわんわんと鳴き始めた。実際には若菜の方が身長が高いため、由良としては必死で辛い状況に耐えなければならなかったわけだが。

              ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 事務所に戻った由良は、晩御飯のスパゲティーをフォークでくるくると回しながら、ぼそぼそと独り言を呟いていた。
「……愛のためであれ、仲間を守るためであれ、最近殺人にしか思考が回らない若者が多いなあ。困ったなあ」
 そして一口食べてから、また呟く。
「今日は古本を六冊買って、殺人事件解決の手助けを一つ、殺人を一つ未然に防いだ。日々是好日……かな」

                   終

 あとがき
 うわあーっ、びっくりするほどヘタだよ……。しかもどっかで見たようなネタだよ……やばすぎるって! うみぃー!