狂える者の剣 第六話の2『Battle with Giant』



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投稿者: 日光 @ p15-dn01kuki.saitama.ocn.ne.jp on 97/8/09 22:09:31

 或いはそれは、不運ではなかったのかもしれない。
 少なくとも彼はそう思っていた。それが不運なことだとは、どうしても思えなかったのだ。
 彼は一人、椅子に深く沈み込み、古ぼけた剣を弄んでいた。彼の後ろには、一人の女が、赤い唇を歪めて立っている。
 女は、彼の首筋に埋め込まれたコネクタにセルをはめ込むと、薄く笑った。
「……どんな気分?」
「最悪だ」
 短く答える。それ以外に感想はなかった。頭はがんがんとした痛みにとりつかれ、四肢に力が入らない。ただ聴覚だけは、異様に研ぎ澄まされていた。その部屋の唯一の装飾品である、赤い錆びに包まれて、それでもなおその役目を勤めている大時計の針の音すら、彼には巨大な音量でならされるギターの音のように思えた。
 ……馬鹿馬鹿しいことだ。全てが……。
 まったくもって馬鹿げた行為ではあった。彼は一人溜息をつくと、剣を弄ぶのをやめ、鞘にしまった。鞘がそれに呼応するかのように−−子を抱いた母のように−−一度震える。
 女は何も語らない−−口を縛ることはできないが、心を縛ることは可能だ。心を縛れば、口は閉ざされる−−つまり彼女は、それの体現者であった。彼はそんなことを考えながら、視線を落とすと、床に落ちている割れたティーカップをじっと見つめた。確か、誕生日プレゼントと言われ、誰かに貰ったものだったはずだ。その時は嬉しかったのを覚えている−−しかし、今こうして割れているそれは、あまりに滑稽にすぎる代物だった。
 剣が震えた。彼の心と繋がるそれは、何故かその震えをやめようとはしない。恐怖故の震えではないはずだ……それは無駄なものだから。恐怖しようとしまいと、現実を変えたりはできない。逃避は楽ではあるが、何物ももたらしはしないのだ。
「あなたは消えるのよ……この世界から。光学的に消えるわけじゃない……誰からも認識されず、ただあなたはあなたとして生きていくの。辛いでしょうね……」
「今までもそうだった」
 彼は再び、短く応じた。女は満足そうに頷くと、彼の首筋にセルをもう一本差し込んだ。
 刹那、彼の体が震えた。
 背中の辺りからうなじにかけて、激痛が踊り狂っている。腕は自らの意志を離れがたがたと振動し、脚は激しく大地を踏み潰す。頭はがくがくと前後に揺られ、思考体系の全てが握りつぶされていくような、絶対的なまでの恐怖が彼を包んでいた。
 何が? 何を恐怖する?
 彼は、生まれて初めて恐怖することの意味を知った。
 女は彼の挙動に、より一層頬を歪めた。
「あなた達は運命に立ち向かえなかった……宿主に選ばれたのは、誰のせいでもない、あなた達自身の責任でしょう? あれは決して私達を裏切ってはいない−−私はあれの創造主だもの。あれのことなら何でもわかるつもり−−何でも、ね。あなた達は私のことを馬鹿にするでしょうけど……」
「貴様に、そんなことを、言う、勇気のある奴は、いない」
 連文節を発音することが、今の彼にはとても困難なことのように思えた。ともかく、脳内に存在しているはずの言語中枢をフル回転させて言葉を紡ぐ。
「貴様は、いつだって、そうだった−−何かに、絶望し、何かを、諦めて続けて、きたのだろう?」
「そうね。私は常に、大きな何かを、ゆっくりゆっくりと諦めていったわ−−」
 と、突然彼女は大きく目をむいた。
「でも! 馬鹿にされるいわれはない! 私は常に求め続けていたのよ−−それをあなた達が阻止したの! あなた達は……何も知らなかったが故に、あなたのために泣いている私の姿すら見ることは出来なかったんでしょう!?」
「言い訳だ−−それは」
「そうね……その通りよ。でもこれだけは覚えておきなさい。あなたは世界に繋がれるの……無限になり、生き続けていくのよ。あなたはあなたとして生きていく−−鉄の糧を得て、無限に生きるのよ……あなたはインフィニットとなるの」
 女はそれ以上は何も言わなかった。
 彼は黙って震えていた……何も知らなかったが故に。
 彼は無知を恐怖した。

               ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
 
「……っ!」
 良平は吹き飛ばされていた。ぐんと、襟を思い切り引っ張られたような感覚と共に宙を舞う。巨人が笑ったような気がした……どうでもいいことではあるが、妙に気になることでもある。
 壁に叩きつけられる寸前、体をひねり、壁に脚を叩きつけた。放射線状に亀裂が走り、地下隔壁が脚の形に沈み込む。
「さすがは“電子の騎士”……素晴らしいね」
「そういうおまえはどうなんだ、“出来損ない”」
 瞬間−−。
 巨人が、吠えた。

               ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

  誰が僕を創り出したのか、今となってはもう知りようのない
  ことだ。知りたくもない……ことでもある。

  僕の存在が何のためにあるか……それを考え続けて、一
  体どれ程の時間が経過しただろう?

  進化はもう止められない……あいつは僕の力すら取り込
  んで成長する。

  守れないのだ−−誰にも、何も、守れはしない。

  僕が何を守れるというのだろう……?

  誰にも、何も、守れはしないのだ!

 〜続く〜