狂える者の剣 第二話『地虫』



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投稿者: 日光(帝国陸軍第四特務部隊・無階級隊員・へノ四号) @ p09-dn01kuki.saitama.ocn.ne.jp on 97/8/03 17:04:40

「……遅い」
 俺は一言呟くと、食いかけの林檎にかじりついた。がじりと音がして、口の中に甘酸っぱい味が広がっていく。不味くはないが、決して美味くもない。今時この秋葉原で果物など買う酔狂者は俺ぐらいだろうから、文句も言えないわけだが……もう少し美味い物をしいれてくれると助かる。
 先刻から六度目、腕時計を見る。針は午後六時を指していた。いい加減来てもいい頃だ。
「……何をしていやがる……」
 と、そこで俺の言葉は中断された。荒れた道を走るバイクの音にかき消されたのだ。バイクは俺の目前まで来ると、瓦礫の破片を砕きながら停止した。
「……本来俺一人で済む用件なのを、勝手について来ると言って待ち合わせさせ、その挙げ句にこのザマか?」
 唇の端を大きく歪め、嫌味たっぷりに言ってやる。バイクのライダーは、フルフェイスのメットから難儀そうに長い髪をひっぱり出しつつ、不機嫌な声色で反論してきた。
「しょうがないでしょー……あたしだってね、遅れたくて遅れたわけじゃないんだから」
「当然だ」
「……ほんっとあんたって、無愛想ね……」
「今は関係ない問題だ。どうして遅れた? 五分や十分ならまだしも、一時間とは少し度が過ぎないか?」
 俺が言うと、美月はいかにも忌々しげに、
「“地虫”にやられたのよ」
 と吐き捨てた。
「まだ残ってたのよ、何匹か。……ああ、もう、思い出しただけで腹が立つわねー……区役所は何やってんの!」
「“地虫”退治は役人には荷が重いさ。なにせ、歴戦のストリート・ビーストが束になって、なんとか追い払えるかどうか……ってバケモノだ」
 俺は林檎を最後の一囓りで食い尽くすと、残った芯を投げ捨てた。べたべたになった手をウェットタオルで拭いつつ、
「それより、美月。“地虫”は追い払ったのか?」
「は? 追い払えるわけないでしょ。逃げてきたのよ、ここまで。いやー苦労したわー……って、何よ、良平、その握りしめた拳は」
 俺は泣きたい気分だった。
「……“地虫”はな、絶対獲物を逃さないんだ。どうしてだかわかるか?」
「さあ」
「あいつらはな、獲物を見つけると、ある特殊な能力を使って、地の果てまで追いかけてくる」
「そ、その特殊な能力って、ちなみに……?」
 俺は絶望的な気分でかぶりを振った。
「……ESPだ」
 と、その瞬間。
 大地が裂けた。

                ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 “地虫”は、知恵を持たない生物で、唯一超能力を使うことができる。それはつまり、絶対に面と向かって“地虫”と戦おうなんて思わない方がいい……ということでもある。
 しかしまあ、それはつまり、その程度のことでしかなかった。格言はあくまで言葉でしか有り得ない……いざ選択の権利を突きつけられたとき、無数にある選択肢の中から一つを選ぶのは、あくまで自分なのだ。
「……ちぃっ!」
 軽く舌打ちして、大地を蹴る。美月はバイクに乗ると、エンジンをかけ、車体にくくりつけられたショットガンを片手で構えた。
 大きな振動と共に、地面を割って表れたのは、地虫……体長六mほどの百足のような生物だった。もっとも、人間の足のようなもの(というかそのもの)を無数に生やし、頭部には苦悶に呻く人間の顔が張り付いているような生物を百足と呼べれば、の話だが。
 そいつは、磨りガラスを引っ掻いたときのような鳴き声を上げると、何の前触れもなく俺に向けて突進してきた。
「ふっ!」
 咄嗟に身体を捻り、百足の巨体をかわす。
「いっぱぁつ!」
 美月がガンを撃つ。しかし、巨大な殺傷力を伴う高速の火線は、
地虫の甲羅に当たる前に、あさっての方向に飛んでいってしまう。地虫が持つ最強にして最凶の能力、ESPの力だ。
「ずっるーい! あいつ、虫のくせにバリアが張れるなんて!」
「言ってないで撃ちまくれ!」
 叫ぶと同時に、俺もまたハンドブラスターを撃つ。熱線はあっさりと反射され、廃墟となったビルの壁を溶かした。
「……虫如きにやられてたまるかっ!」
 バックパックからコネクターを取り出し、側頭部に埋め込まれたターミナルと連結する。網膜に様々な情報が表示され、ターミナルからリンクした脳に、最良の攻撃方法を伝える。
「キシャアァアァァ!」
 地虫が放った念動の剣が、俺の脚をかすめた。肉の焦げる嫌な臭いが周囲に漂う。
「良平っ!」
「構うな、ひたすら撃ちまくれ!」
 俺は脚の痛みをこらえつつ、大地を蹴り、宙に舞った。地虫の遙か頭上を飛び越え、何とか攻撃をやり過ごす。
 地虫はしばらく俺の方を見ていたが、突然標的を美月に切り替えたようだった。気配を察したのか、美月はバイクを走らせた。そのすぐ後ろの地面を、念動の槌が叩きつぶしていく。
「良平ーーっ、空飛んでないで何とかしてよーーっ!!!!」
 言われなくともそのつもりだった。俺は脳のターミナルから送られてくるデータを読みながら、地虫の弱点を衝くべく、再び熱戦を発射した。赤い直線がバリアに弾かれた瞬間、ぴたりと念動攻撃が停止する。
「美月、撃てっ!」
「あいよぉっ!」
 バイクの頭を回転させ、地虫の頭向けて銃弾を撃ち込む美月。
その弾丸はバリアによって弾かれたが……。
「今だっ!」
 俺が撃った熱戦は、地虫の甲羅を貫いていた。
 ……キシャアアアアアア!
 絶叫を上げ、地虫は大地に潜り込む。逃げたわけではない……攻撃の機会を窺っているのだ。
「良平っ、凄いね! バリアの間隙を縫うなんてさ!」
「……別段驚くべきことでもないな。それより気を付けろ、美月。野郎はまだ生きて、どこからか攻撃をしかけてくるぞ……」
 俺は溜まった唾を飲み込むと、油断無くブラスターを構えた。
 地虫はひどく執念深い性質を持つ。獲物に一度や二度反撃されたところで、諦めてはくれない。獲物が生き残るにはただ一つ、地虫を殺すしかないのだ。
「……来ないわよ」
 美月がぴったりと背中をくっつけてきた。どうやら、無意識に恐れているらしい……まあ無理のない話だ。彼女は俺とは違う……人間なのだから。

             ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 あれから数分、地虫は一向に現れる気配を見せない。
「……ねえ、良平。ひょっとしてあの虫、諦めたんじゃないの?」
 そう思うのも無理のない話だった。頭のターミナルで周囲の情報を検索してみるが、生命反応は二つ……つまり俺と美月の分しか表示されない。
「……まさか、こんな簡単に……」
 呟いた瞬間だった。
(上だ!)
 頭の中に声が響いて−考えるより先に、身体が反応していた。上空に向けて熱線を放つと同時に、その軌道上に地虫が出現していた。咄嗟にバリアを張ることができなかった虫は、頭を撃ち抜かれ、大地に転がる。
「助かった、か……」
 横では美月が呆然としていた。状況がわかっていないのだろう。
これもまた、しかたのないことだが。
「……随分遅いので、迎えに来てしまいましたよ、ナイト。失礼でしたか?」
「いいや……助かった。ヤツがテレポートまで使えるほどに成長しているとは、思いも寄らなかった」
 いつの間にか、近くの瓦礫の山の上に、一人の少年が座り込んでいた。赤い髪を伸ばし、無造作にうなじのあたりで縛っている。その顔に浮かんだ柔和な笑みには、見る者をついにやにやさせてしまうような、人懐っこさが溢れていた。
「……良平、あの人がひょっとして……?」
 まだ少し虚ろな声音で、美月が俺のコートを引っ張る。皺にならないよう、その手を払いのけつつ、俺は
「ああ、そうだ。……紹介しよう、美月。あいつが俺の盟友、第一次封印大戦を共に戦った、“千里眼”納真神楽(のうま・かぐら)だ」
 俺が言うと、神楽は軽く手を振った。

 続く