|  
 [ このメッセージへの返事 ]
[ 返事を書く ]
[  home.html  ]
 
  
 投稿者:
年貢  @ pppb815.pppp.ap.so-net.or.jp on 97/11/19 21:35:10
 
物語を完結するラストというのは、激しい宝塚系大団円というイメージがある。
 全キャラが何回となく出てきて終わるというあれである。
 だがその予想を裏切りドラゴンボールの最終回は違った。派手ではなかった。
 それどころか、悟空が一見不可解な行動に出るのだ。ラストでシェンロンに
 最後の願いを聞いてもらうまでは当然なのだが、共にどこかへ行ってしまう。
 ベジータはその意味を解っていたようだが、悟空を止めなかった。さすがだ。
 そして悟空は少しの寄り道をする。ここが特に不思議な雰囲気を醸し出していた。
 クリリンと悟空の会話は、一生忘れられないほど少しわざとらしく、だが印象的だった。
 普段は恥ずかしがってばかりの僕だが、クリリンのつぶやきは心に響いた。
 あれこそ、本当の言葉なのだと思う。しかも、それに対する悟空の答えがまたいい。
 忘れられないワンシーンだ。それはまるで大人へのメッセージであった。
 それから半世紀以上の年月が過ぎたラストシーンは、あれでいいと思う。
 僕たちの知る古くからのキャラは、老いたパンちゃん一人しかいない(番外編キャラも)。
 だが、それでいい。あれこそシェンロンとの遠い約束を果たせた証なのだ。
 ラストでパンおばあちゃんが見たものは、きっと幻ではない。
 一期一会・・・そんな言葉が頭を掠める。
 何というか、見る者をしんみりとさせる・・・そんな神秘的な最終話だった。
 これは勿論、僕がドラゴンボール世代だったからという但し書きが付く。ある意味
 懐古であり感傷に浸っているだけなのかも知れない。それは否めない。認めよう。
 
 ドラゴンボールはメジャーの看板を背負っていた。凡庸・通俗の代名詞のように言われていた。また僕自身、くだらない批判なんかをしたりもした。それは単なるメジャーなものへの幼稚で稚拙な反抗であったが、反抗期のやりだまとしては最適なものだった。
 かめはめ波・武空術・パワーインフレ・・・
 結果として、今の数多くの漫画はドラゴンボールにそのほとんどを学んだのだ。
 僕も多くを学んだ。
 
 悟空がまだ小さかった頃、僕らもまた小さかった。
 悟空が世界中を駆け回っていた頃、僕らも遊びまわっていた。
 悟空がフリーザやセルと戦った頃、僕らも自我との葛藤や高校受験と戦っていた。
 悟空が魔人と戦った頃、学生時代も終わっていった。
 ドラゴンボールは、僕らの青春だった。
 
 みんなの場所から去っていった悟空は、今もどこかをかけまわっているのだろう。
 だがもう彼は仲間たちのもとへは戻ってこないのであろうか。
 ・・・いや、違う。きっと突然、ふらっと帰ってくるのだ。
 そして、あの元気な声をまた聞かせてくれるに違いないのだ。
 
 「オッス、オラ悟空!」
 小さな僕に夢をあたえつづけてくれたドラゴンボールファミリー、
 数々の強敵達、そして悟空・・・
 彼らに、心の底からありがとうを言いたい。すばらしい冒険と物語とドラマでした。
 
 
 
  
 
 
   |